虹雨は2通目の手紙で私のことを「お嬢ちゃん」と呼んだ。そしてそれ以降、私を名前で呼んだことがない。彼は私の手紙から私の子供のような純真さを感じたと言う。私は苦笑いした。私って純真?と自分に尋ねてみた。そんな言葉、私とは無縁だと感じた。自分に対してどうでもよい態度をとるようになってから、「純真さ」とか「ロマンティック」とかいう言葉なんて、私の心からは青春といっしょに葬り去られていた。私はいつも消極的で荒れていた。ものごとに対しても、どうでもいいという態度をとっていた。もしかしたら、こんなのって、かなりおかしなことかもしれない。とうてい16歳の女の子の考えることではない。でも、当時の私はまさにそうだったのだ。虹雨の「お嬢ちゃん」という呼び方が、私を長い悪夢からパッと目覚めさせたようだった。私は危機感を感じた。私はもうこんなふうにはしていられない、と思った。もうそれを理解すべきときが来たのだ。そうしなければ、私の青春は私の荒れ果てた消極さとともに葬り去られるところだった。
 「私はやり直さなきゃならない!」
 自分に言い聞かせ、虹雨に対しても言った。そして彼に、その「お嬢ちゃん」という呼び方が私をどれだけ揺り動かしたか、を伝えた。

  それ以来、私と虹雨は手紙をやり取りし始めた。もしかしたら、私の成績がどん底から回復し始めたのは、彼の応援と助けがあったからかもしれない。生きているということは素敵なことだ、私の心は全く新しい感覚で満ち溢れていた。1日のうちでしなければならないことは山積みだったが、毎日忙しくバタバタと過ごしていても、疲れてどうしようもないことばかりでも、心の中は言い表せないほど充実していて心地よかった。週末になるといつも虹雨の手紙が届く。彼はもう実習のほうは終わっていたのだが、仕事のあてはついておらず、家で待っているしかなかった。彼の表現を借りれば、「家でムダ飯を食って、ムダな時間を過ごす」ということになる。このためか、彼には私に手紙を書く時間がたっぷりあるらしい。どの手紙でも私を激励するのを忘れないし、その上どこからひっぱってきたのか、私の参考になるように学習法をたっぷりと紙数を割いて書いてくれた。虹雨のような友達がいて、私はとてもうれしかった。彼が私のためにしてくれた全てのことに感動していた。

written by 喬群
http://dazhou.tougao.com/list.asp?id=897

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