情感世界(9/22)
2005年9月27日 情感世界 コメント (127)私の同僚の中でも子供にピアノを
習わせている人は多いです。
親の方では雨風の中をあっちへ行ったりこっちへ来たり
大変な目をしています。
目的は子供の音楽の素養の伸ばすため。
ある友達の姪御さんは小学校から高校まで
ずっとピアノを弾いています。
相当な素質の持ち主だということもあり、
またその子のたいへんな努力の甲斐もあって、
全国規模の大きなピアノコンテストで
連続して栄冠を勝ち取っています。
友達は言います。
「名門の音楽家の家庭でもない普通のサラリーマンの子が
こんな成績を収めるだけですごいことだ」と。
今年はその姪御さんの大学受験の年。
親御さんは悩みに悩んで
その子に中央音楽学院を受けさせることにしました。
友達の話では「ピアノをちゃんと学ぼうとすると、
経済的な負担も相当なもの」なのだそうです。
子供に可能なチャンスをすべてつかませようと、
家まで売って、故郷へ帰って家を借りています。
北京で音楽の先生を頼んで基礎を学ばせ、
その上家賃まで払わなければなりません。
そう考えていくと、両方の家賃だけでも
毎月3000元くらいは必要です。
3000元と言えば、
普通の家庭にとっては少ない金額ではありません。
そのとおりです。
でも経済的な負担は精神的な負担に比べれば
たいしたことはないはず。
長年苦労して子供のために物を買ってやっています。
この子の両親は疲れきった顔で言いました。
「もう限界です。
私たちの生活はすべて子供のためなのです。」
私はこのお父さんに会ったことがあります。
子供の前ではいつも変わらず
ハツラツとしていらっしゃいますが、
子供がピアノの部屋に入って
練習をし始めたとたん目つきが暗くなってしまいます。
かなりお疲れのご様子です。
彼はもう話さえもしたくないのです。
子供のための尽きることのない親の愛情に感動しました。
彼らは幼い子供のために大空を支えてやっているのです。
でも、自分のことはどうなのでしょう?
親たちには自分の生活などないのです。
子供の理想が親の理想。
子供の喜びが親の喜び。
お金の存在が大きいのですが、
子供は親心の背後にあるものを見落としているかもしれません。
両親がくれたものがどれだけ大きなものかを。
でも時々その愛が子供にプレッシャーとなって
襲いかかるかもしれません。
愛の重荷が子供に反発心さえ起こさせるかもしれません。
先ほどの話の子は親の期待にそむいたこともなく、
楽しくピアノを勉強していますが、
この愛情が悩みに変わってきました。
万が一音楽学院に受からなかったら
ずっと両親が負担してきてくれたものは
水の泡と化すのだろうか、と。
友達は私に言いました。
こんな一家を見ていると、感動するのは確かだ。
大きな愛情が家族みんなを結び付けているのだ。
彼らはお互いに支えあい、お互いに励ましあっている。
子供が夢を実現する日が
家族の成功の日になるのかもしれない、と。
こんな裏心もなく奉仕する親御さんたちに、
真摯な言葉を送りたいと思います。
ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-24
習わせている人は多いです。
親の方では雨風の中をあっちへ行ったりこっちへ来たり
大変な目をしています。
目的は子供の音楽の素養の伸ばすため。
ある友達の姪御さんは小学校から高校まで
ずっとピアノを弾いています。
相当な素質の持ち主だということもあり、
またその子のたいへんな努力の甲斐もあって、
全国規模の大きなピアノコンテストで
連続して栄冠を勝ち取っています。
友達は言います。
「名門の音楽家の家庭でもない普通のサラリーマンの子が
こんな成績を収めるだけですごいことだ」と。
今年はその姪御さんの大学受験の年。
親御さんは悩みに悩んで
その子に中央音楽学院を受けさせることにしました。
友達の話では「ピアノをちゃんと学ぼうとすると、
経済的な負担も相当なもの」なのだそうです。
子供に可能なチャンスをすべてつかませようと、
家まで売って、故郷へ帰って家を借りています。
北京で音楽の先生を頼んで基礎を学ばせ、
その上家賃まで払わなければなりません。
そう考えていくと、両方の家賃だけでも
毎月3000元くらいは必要です。
3000元と言えば、
普通の家庭にとっては少ない金額ではありません。
そのとおりです。
でも経済的な負担は精神的な負担に比べれば
たいしたことはないはず。
長年苦労して子供のために物を買ってやっています。
この子の両親は疲れきった顔で言いました。
「もう限界です。
私たちの生活はすべて子供のためなのです。」
私はこのお父さんに会ったことがあります。
子供の前ではいつも変わらず
ハツラツとしていらっしゃいますが、
子供がピアノの部屋に入って
練習をし始めたとたん目つきが暗くなってしまいます。
かなりお疲れのご様子です。
彼はもう話さえもしたくないのです。
子供のための尽きることのない親の愛情に感動しました。
彼らは幼い子供のために大空を支えてやっているのです。
でも、自分のことはどうなのでしょう?
親たちには自分の生活などないのです。
子供の理想が親の理想。
子供の喜びが親の喜び。
お金の存在が大きいのですが、
子供は親心の背後にあるものを見落としているかもしれません。
両親がくれたものがどれだけ大きなものかを。
でも時々その愛が子供にプレッシャーとなって
襲いかかるかもしれません。
愛の重荷が子供に反発心さえ起こさせるかもしれません。
先ほどの話の子は親の期待にそむいたこともなく、
楽しくピアノを勉強していますが、
この愛情が悩みに変わってきました。
万が一音楽学院に受からなかったら
ずっと両親が負担してきてくれたものは
水の泡と化すのだろうか、と。
友達は私に言いました。
こんな一家を見ていると、感動するのは確かだ。
大きな愛情が家族みんなを結び付けているのだ。
彼らはお互いに支えあい、お互いに励ましあっている。
子供が夢を実現する日が
家族の成功の日になるのかもしれない、と。
こんな裏心もなく奉仕する親御さんたちに、
真摯な言葉を送りたいと思います。
ご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-24
情感世界(9/21)
2005年9月27日 情感世界 コメント (141)先日多くのメディアから
有名タレントの高秀明さんが亡くなったという
記事が姿を消してしまいました。
でも、私の周りの多くの友人は
まだこれに関連した話題が取り上げられています。
ある人は愛情について、またある人は命について。
高秀明さんのご主人何慶葵がインタビューに答えて
こんなことを言われたことがあるように思います。
「人の命の長さは有限だが、広さは無限だ。」と。
高秀明さんが突然この世から去られたとき、
多くの人は彼女の早すぎる死を嘆くばかりでしたが、
彼女の身の上から
実際には人生の完結が美しい幕切れであるとは限らない
ということを悟った人もいました。
この美しさは空気のようなもので
同じように美しいこの世界のなかに満ち溢れています。
長い人生もあれば短い人生もありますが、
どの人も人生という道のりで
少なからぬ困難を経験しているのです。
こんな風雨をさけようと
雨宿りする場所を探そうとする人もいます。
勇敢にこの風雨に立ち向かって行き、
その中で生きていくための信念や勇気を
手に入れる人もいます。
この番組でも以前2人のリスナーを紹介したことがあります。
鐘斉さんと海燕さんです。
彼女たちの家庭環境はよく似ていました。
家が貧しくて、鐘斉さんは勉強する機会を失いました。
海燕さんも学校を学校を辞めるような
危機的状況に陥りました。
彼女たちは性格もよく似ていました。
とても強靭で、困難に直面したとき、
決して屈服しませんでした。
鐘斉さんは強い意志で最後には公費研究生に合格しました。
海燕さんもポジティヴな考え方を持ち、
援助してくれる人のおかげもあって、
大学を続けることができたのです。
彼女たちは運がよかったのだと考える人もいるかもしれません。
でも、この2人がこんな成績を収められたいちばんの理由は、
実際に行動し、自分の青春の火を燃やしたことだと思います。
彼女たちは決してあきらめませんでした。
さきほどの話を覚えていますか?
何慶葵さんのインタビューのときのものです。
「人の命の長さは有限だが、広さは無限だ。」
そうです。充実して意義のある生活を
願わない人がいるでしょうか?
今から命の幅を広げていこうではありませんか。
楽観的に勉強して、積極的に生活して、
微笑みながら周りのみんなに接してみてください。
周りのみんなのほうでもあなたの明るさとがんばりを見て、
あなたの成績に喝采を送ってくれることでしょう。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-24
有名タレントの高秀明さんが亡くなったという
記事が姿を消してしまいました。
でも、私の周りの多くの友人は
まだこれに関連した話題が取り上げられています。
ある人は愛情について、またある人は命について。
高秀明さんのご主人何慶葵がインタビューに答えて
こんなことを言われたことがあるように思います。
「人の命の長さは有限だが、広さは無限だ。」と。
高秀明さんが突然この世から去られたとき、
多くの人は彼女の早すぎる死を嘆くばかりでしたが、
彼女の身の上から
実際には人生の完結が美しい幕切れであるとは限らない
ということを悟った人もいました。
この美しさは空気のようなもので
同じように美しいこの世界のなかに満ち溢れています。
長い人生もあれば短い人生もありますが、
どの人も人生という道のりで
少なからぬ困難を経験しているのです。
こんな風雨をさけようと
雨宿りする場所を探そうとする人もいます。
勇敢にこの風雨に立ち向かって行き、
その中で生きていくための信念や勇気を
手に入れる人もいます。
この番組でも以前2人のリスナーを紹介したことがあります。
鐘斉さんと海燕さんです。
彼女たちの家庭環境はよく似ていました。
家が貧しくて、鐘斉さんは勉強する機会を失いました。
海燕さんも学校を学校を辞めるような
危機的状況に陥りました。
彼女たちは性格もよく似ていました。
とても強靭で、困難に直面したとき、
決して屈服しませんでした。
鐘斉さんは強い意志で最後には公費研究生に合格しました。
海燕さんもポジティヴな考え方を持ち、
援助してくれる人のおかげもあって、
大学を続けることができたのです。
彼女たちは運がよかったのだと考える人もいるかもしれません。
でも、この2人がこんな成績を収められたいちばんの理由は、
実際に行動し、自分の青春の火を燃やしたことだと思います。
彼女たちは決してあきらめませんでした。
さきほどの話を覚えていますか?
何慶葵さんのインタビューのときのものです。
「人の命の長さは有限だが、広さは無限だ。」
そうです。充実して意義のある生活を
願わない人がいるでしょうか?
今から命の幅を広げていこうではありませんか。
楽観的に勉強して、積極的に生活して、
微笑みながら周りのみんなに接してみてください。
周りのみんなのほうでもあなたの明るさとがんばりを見て、
あなたの成績に喝采を送ってくれることでしょう。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-24
情感世界(9/20)
2005年9月27日 情感世界 コメント (74)先日姚明(NBAで活躍中の
プロバスケットボール・プレーヤー)
が北京で血液サンプルを中華骨髄バンクに登録しました。
彼の血液と患者の血液型が合えば、
造血肝細胞を寄付することになります。
姚明のこの行動に感動し、
メディアの取材を受けたときの
堂々とした態度にさらに感動しました。
姚明は自分のしたことを鼻にかけてはいません。
ひとりの普通の人が社会に対して当然するべきことを
しただけのことなのです。
彼は血液を寄付して名前を売ろうなどとは思っていません。
自分の名前でさらに多くの人に
骨髄バンクとその生命を救うという事業に
関心を持ってもらおうとしただけなのです。
記者は姚明に尋ねました。
「もし患者の血液型とあなたの血液型が合ったら
どうするんですか?」
姚明は躊躇せずに答えました。
「急いで帰国して骨髄を提供します。」
さらに記者は尋ねました。
「もしたまたま大事な試合があったとしたら、
試合を中止しますか?」
姚明は再び臆することなく答えました。
「ひとりの人の命より大切なものがありますか?」
そうです。
この世に人の命より大切なものはあるでしょうか?
姚明は高度なテクニックで世界中の注目を浴びていますが、
人を愛する善良な気持ちで尊敬もされているのです。
私は毎日全国から寄せられるリスナーのみなさんからの
お便りをいただいています。
いつも郵便ポストを開けると、ドキッとする表題に
目を奪われます。
例えば「死のうと思っている人間の訴え」、
「死のうと考えている学生の悩み」、
「死にたいと思っている人間の手紙」などです。
これらの郵便の表題は私の心をグサッと突き刺します。
あわてて封筒を開けると、
実際はどれもほんの些細なことで
死のうと考えているものばかりです。
番組制作班のディレクターと私が
急いで慰めの手紙を書きますが、
その返事が効き目があるものかどうかわかりません。
でも私たちはほんとうにこれらの助けを求める声を
無視することはできないのです。
私たちが書く返事は実際彼らが直面している
現実の問題を解決したり、
置かれている実際の境遇を変えるものでは
決してありません。
ただ人と人との愛情や友情を伝えたいのです。
彼らの周りに彼らに関心を持ってくれる友達が
いてくれたらいいなぁと願っています。
辛抱強く彼らの話を聞いてくれて、
心の中に鬱積したものを取り除いてくれて、
悲観的な考えや絶望を消してくれる友達が。
でも、もっと強く願っているのは、
誰かが助けてくれるのを期待している人たちが、
強くなって自分で苦境から抜け出せるようになることです。
どんなに困難な状況になっても、
自分に言い聞かせてください。
「この世に自分の命より大切なものは何もないのだ」と。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-21
プロバスケットボール・プレーヤー)
が北京で血液サンプルを中華骨髄バンクに登録しました。
彼の血液と患者の血液型が合えば、
造血肝細胞を寄付することになります。
姚明のこの行動に感動し、
メディアの取材を受けたときの
堂々とした態度にさらに感動しました。
姚明は自分のしたことを鼻にかけてはいません。
ひとりの普通の人が社会に対して当然するべきことを
しただけのことなのです。
彼は血液を寄付して名前を売ろうなどとは思っていません。
自分の名前でさらに多くの人に
骨髄バンクとその生命を救うという事業に
関心を持ってもらおうとしただけなのです。
記者は姚明に尋ねました。
「もし患者の血液型とあなたの血液型が合ったら
どうするんですか?」
姚明は躊躇せずに答えました。
「急いで帰国して骨髄を提供します。」
さらに記者は尋ねました。
「もしたまたま大事な試合があったとしたら、
試合を中止しますか?」
姚明は再び臆することなく答えました。
「ひとりの人の命より大切なものがありますか?」
そうです。
この世に人の命より大切なものはあるでしょうか?
姚明は高度なテクニックで世界中の注目を浴びていますが、
人を愛する善良な気持ちで尊敬もされているのです。
私は毎日全国から寄せられるリスナーのみなさんからの
お便りをいただいています。
いつも郵便ポストを開けると、ドキッとする表題に
目を奪われます。
例えば「死のうと思っている人間の訴え」、
「死のうと考えている学生の悩み」、
「死にたいと思っている人間の手紙」などです。
これらの郵便の表題は私の心をグサッと突き刺します。
あわてて封筒を開けると、
実際はどれもほんの些細なことで
死のうと考えているものばかりです。
番組制作班のディレクターと私が
急いで慰めの手紙を書きますが、
その返事が効き目があるものかどうかわかりません。
でも私たちはほんとうにこれらの助けを求める声を
無視することはできないのです。
私たちが書く返事は実際彼らが直面している
現実の問題を解決したり、
置かれている実際の境遇を変えるものでは
決してありません。
ただ人と人との愛情や友情を伝えたいのです。
彼らの周りに彼らに関心を持ってくれる友達が
いてくれたらいいなぁと願っています。
辛抱強く彼らの話を聞いてくれて、
心の中に鬱積したものを取り除いてくれて、
悲観的な考えや絶望を消してくれる友達が。
でも、もっと強く願っているのは、
誰かが助けてくれるのを期待している人たちが、
強くなって自分で苦境から抜け出せるようになることです。
どんなに困難な状況になっても、
自分に言い聞かせてください。
「この世に自分の命より大切なものは何もないのだ」と。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-21
情感世界(9/19)
2005年9月20日 情感世界 コメント (3)最近、中国科学院の26歳の博士課程履修生孟宜が
飛び降り自殺をしました。
そしてふたたび大学生の心理的な問題が
クローズアップされています。
ここで、まず孟宜の成長過程を
振り返ってみることにしましょう。
孟宜の家は衡陽市解放路にあり、
衡陽二高を卒業しました。
1997年南開大学化学学部に合格。
2001年研究生の入学試験中、
孟宜は学んだ専攻科目に満足できず、
次の年再度入試を受験。
中国科学院上海化学研究所の
修士・博士課程連続履修生となりました。
自殺前は博士課程を履修中でした。
小学校から高校まで
孟宜はずっと先生公認の優等生でした。
1997年には全国優秀学生幹部に選出。
ほかにも何度も世紀優秀学生幹部に選出されています。
自殺前までずっと、高校教師の授業で
彼を模範として取り上げていました。
こんなに前途洋々で優秀な博士課程履修生が
なぜ自殺という道を選んだのでしょう。
彼の遺書の中に自殺の理由が書いてあります。
(漢字で)たったの9文字で。
「世の中がいやになった。
精神の意味がわかった。」
ここ数年のわが国の大学生中にある
心理的な問題はかなり多くなったと言えます。
このことがしばしば悲劇的な事件を引き起こします。
以前のデータにこういうものがあります。
大学でさまざまなレベルの精神疾患を持つ
大学生は38%を占めるにいたっている、というものです。
しかしこれらの大学生が持つ心理的な問題は
ほとんどは自らが原因なのです。
たとえば、認識力、ストレス耐性、適応力、
人と付き合っていく能力など、
総合的な能力の低下がもたらしたものです。
人々の誤解と認識のズレのため、
精神的な症状が現れて初めて
心理的な問題や精神疾患だと認識されます。
そのため大学生の心理的な異常の
初期症状が見落とされています。
それに、多くの精神疾患患者が
どうやって医者にかかったり治療を受けたり
すればいいのかわかっていないとか、
治療をおろそかにしていることも原因のひとつです。
彼らが生死を決するとき、
彼らが生きていく理由を見つける手助けを
してくれる人さえいないのです。
このため悲劇が起きるのです。
ほんとうに心が痛みます。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-20
飛び降り自殺をしました。
そしてふたたび大学生の心理的な問題が
クローズアップされています。
ここで、まず孟宜の成長過程を
振り返ってみることにしましょう。
孟宜の家は衡陽市解放路にあり、
衡陽二高を卒業しました。
1997年南開大学化学学部に合格。
2001年研究生の入学試験中、
孟宜は学んだ専攻科目に満足できず、
次の年再度入試を受験。
中国科学院上海化学研究所の
修士・博士課程連続履修生となりました。
自殺前は博士課程を履修中でした。
小学校から高校まで
孟宜はずっと先生公認の優等生でした。
1997年には全国優秀学生幹部に選出。
ほかにも何度も世紀優秀学生幹部に選出されています。
自殺前までずっと、高校教師の授業で
彼を模範として取り上げていました。
こんなに前途洋々で優秀な博士課程履修生が
なぜ自殺という道を選んだのでしょう。
彼の遺書の中に自殺の理由が書いてあります。
(漢字で)たったの9文字で。
「世の中がいやになった。
精神の意味がわかった。」
ここ数年のわが国の大学生中にある
心理的な問題はかなり多くなったと言えます。
このことがしばしば悲劇的な事件を引き起こします。
以前のデータにこういうものがあります。
大学でさまざまなレベルの精神疾患を持つ
大学生は38%を占めるにいたっている、というものです。
しかしこれらの大学生が持つ心理的な問題は
ほとんどは自らが原因なのです。
たとえば、認識力、ストレス耐性、適応力、
人と付き合っていく能力など、
総合的な能力の低下がもたらしたものです。
人々の誤解と認識のズレのため、
精神的な症状が現れて初めて
心理的な問題や精神疾患だと認識されます。
そのため大学生の心理的な異常の
初期症状が見落とされています。
それに、多くの精神疾患患者が
どうやって医者にかかったり治療を受けたり
すればいいのかわかっていないとか、
治療をおろそかにしていることも原因のひとつです。
彼らが生死を決するとき、
彼らが生きていく理由を見つける手助けを
してくれる人さえいないのです。
このため悲劇が起きるのです。
ほんとうに心が痛みます。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-20
情感世界(9/16)
2005年9月18日 情感世界 コメント (2)いつもお話しているように
リスナーのみなさんからたくさんの携帯メールや
E-mailをいただいています。
彼らが生きていく上でどんなショックや不幸に遭遇したかが
書いてあるのですが、
将来や人生の軌跡に影響するようなものまであります。
でも、環境や境遇が人に与える影響は限られたものです。
私たちの運命は自分の手の中にあるのです。
こんな話がこのわけを具体的に説明してくれるでしょう。
ある冷酷無情な父親が酒と薬物におぼれていました。
あるときバーで、バーテンダーが気に食わないと言って、
バーテンダーを殺してしまいまい、
終身刑に処せられました。
彼には2人の息子があり、年の差は1歳でした。
そのうちひとりは父親同様薬物におぼれ、
窃盗恐喝で生きていました。
その後こちらも殺人で監獄に入れられました。
もうひとりの息子は
ある大企業の支社の経営者をしていました。
酒も飲まないし、薬物にも手を出しません。
仕事もまじめでコツコツと取り組み、
人当たりも親切で心がこもっています。
すばらしい結婚をし、かわいい子供が3人いました。
あるとき記者が内密にそれぞれを取材しました。
彼らに今のようになった原因を尋ねたところ、
なんとふたりは全く同じように答えました。
「あんな父親だったから
ほかにどうなる道があったでしょうか?」と。
同じ環境、同じ父親の下、
どうしてふたりにこんな違いが起こったのでしょう?
この話はもしかすると私たちに
こんな道理を教えてくれているのかもしれません。
それはつまり、私の人生に影響を与えるのは、
環境や境遇では決してなく、
私たちが生きていく上でどんな信念を抱いているかなのです。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-17
リスナーのみなさんからたくさんの携帯メールや
E-mailをいただいています。
彼らが生きていく上でどんなショックや不幸に遭遇したかが
書いてあるのですが、
将来や人生の軌跡に影響するようなものまであります。
でも、環境や境遇が人に与える影響は限られたものです。
私たちの運命は自分の手の中にあるのです。
こんな話がこのわけを具体的に説明してくれるでしょう。
ある冷酷無情な父親が酒と薬物におぼれていました。
あるときバーで、バーテンダーが気に食わないと言って、
バーテンダーを殺してしまいまい、
終身刑に処せられました。
彼には2人の息子があり、年の差は1歳でした。
そのうちひとりは父親同様薬物におぼれ、
窃盗恐喝で生きていました。
その後こちらも殺人で監獄に入れられました。
もうひとりの息子は
ある大企業の支社の経営者をしていました。
酒も飲まないし、薬物にも手を出しません。
仕事もまじめでコツコツと取り組み、
人当たりも親切で心がこもっています。
すばらしい結婚をし、かわいい子供が3人いました。
あるとき記者が内密にそれぞれを取材しました。
彼らに今のようになった原因を尋ねたところ、
なんとふたりは全く同じように答えました。
「あんな父親だったから
ほかにどうなる道があったでしょうか?」と。
同じ環境、同じ父親の下、
どうしてふたりにこんな違いが起こったのでしょう?
この話はもしかすると私たちに
こんな道理を教えてくれているのかもしれません。
それはつまり、私の人生に影響を与えるのは、
環境や境遇では決してなく、
私たちが生きていく上でどんな信念を抱いているかなのです。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-17
情感世界(9/15)
2005年9月16日 情感世界 コメント (586)今朝早く同僚たちが3本の万年筆を持って
事務所にやってきました。
みんなは不思議に思いました。
今では事務所ではほとんど
ものを書くときもサインペンを使います。
万年筆なんて大昔の代物になってしまったようです。
その後、この3本の万年筆は同僚の4年生になる子供が
壊したものだとわかりました。
万年筆を使い始めたばかりで、子供は夢中になってしまい、
まだ幼いものだから正しい使い方もわからず、
何日もしないうちにペン先ではなく、
胴体が壊れたのでした。
同僚はこの万年筆をどうしたものかと考えました。
捨てればもったいないし、
とっておいても修理してくれるところが見つからない。
この3本の万年筆を直そうと
同僚はいろいろと走り回りました。
万年筆卸業者、スーパー、自由市場。
でも修理してくれるところは見つかりません。
みんなは不思議に思いました。
今では万年筆1本ぐらい買うのは安いものだ。
なんでわざわざ一生懸命になって直そうとするのか、と。
同僚は私に言いました。
万年筆1本買うのはもちろんたいしたことじゃない。
でも、万年筆を直すことを通して子供に
どんなときでも物を大切にして無駄遣いしない
ということを知ってほしいんだ、と。
同僚のこの話はしんどい目をして万年筆を修理した
彼に対して批判的だった人たちみんなを黙らせました。
だんだんと物質的に豊かな生活をするようになると、
多くの人は節約ということを忘れそうになります。
でも、節約は昔から言われていることです。
学校へ上がった日から授業で、
日常どのようにして節約をしなければならないかを
教わりました。
でも、だんだんと大人になって
通帳の貯金が増えてくると、
たまにしかなかった贅沢が当たり前のことになってきます。
今、私たちは節約型社会を提唱しています。
学校から日常生活まで、
節約という言葉は人々に昔のことを思い出させます。
公共広告の中の子供時代を見て、
地球の水資源が不足し、
きれいな空気がなくなるかもしれないこのときに、
どの人ももっと今あるものを大切にしなければ
と思います。
緊急性とは無関係と思われる
字を書くの使う万年筆も含めてです。
だから同僚が万年筆を直したのは
オーバーなことではないのです。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-16
事務所にやってきました。
みんなは不思議に思いました。
今では事務所ではほとんど
ものを書くときもサインペンを使います。
万年筆なんて大昔の代物になってしまったようです。
その後、この3本の万年筆は同僚の4年生になる子供が
壊したものだとわかりました。
万年筆を使い始めたばかりで、子供は夢中になってしまい、
まだ幼いものだから正しい使い方もわからず、
何日もしないうちにペン先ではなく、
胴体が壊れたのでした。
同僚はこの万年筆をどうしたものかと考えました。
捨てればもったいないし、
とっておいても修理してくれるところが見つからない。
この3本の万年筆を直そうと
同僚はいろいろと走り回りました。
万年筆卸業者、スーパー、自由市場。
でも修理してくれるところは見つかりません。
みんなは不思議に思いました。
今では万年筆1本ぐらい買うのは安いものだ。
なんでわざわざ一生懸命になって直そうとするのか、と。
同僚は私に言いました。
万年筆1本買うのはもちろんたいしたことじゃない。
でも、万年筆を直すことを通して子供に
どんなときでも物を大切にして無駄遣いしない
ということを知ってほしいんだ、と。
同僚のこの話はしんどい目をして万年筆を修理した
彼に対して批判的だった人たちみんなを黙らせました。
だんだんと物質的に豊かな生活をするようになると、
多くの人は節約ということを忘れそうになります。
でも、節約は昔から言われていることです。
学校へ上がった日から授業で、
日常どのようにして節約をしなければならないかを
教わりました。
でも、だんだんと大人になって
通帳の貯金が増えてくると、
たまにしかなかった贅沢が当たり前のことになってきます。
今、私たちは節約型社会を提唱しています。
学校から日常生活まで、
節約という言葉は人々に昔のことを思い出させます。
公共広告の中の子供時代を見て、
地球の水資源が不足し、
きれいな空気がなくなるかもしれないこのときに、
どの人ももっと今あるものを大切にしなければ
と思います。
緊急性とは無関係と思われる
字を書くの使う万年筆も含めてです。
だから同僚が万年筆を直したのは
オーバーなことではないのです。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-16
情感世界(9/14)
2005年9月16日 情感世界 コメント (797)このごろ北京の公園で活躍している老人たちがいます。
彼らは集まって我が子の結婚の計画するのです。
ぴったりの老人に会うと、
相手方の子供のだいたいの事情をしっかりメモして、
帰ってから自分の子供の参考にするのです。
現在までに親の公園での縁組で
恋愛関係が確定した子供たちのカップルは100組にのぼる
という報道もあります。
私の身近にもこういうふうにして結婚した
新婚さんがいます。
彼らはこの方法で恋愛し、
結婚というゴールまで駆け抜けます。
彼らの満面の幸せそうな表情を見てください。
彼らは母親が公園でこの種の集会に参加することに
反対したことがないだろうと思えます。
女の子は27歳。
彼女は今まで恋愛もしたことがなく、
自分の結婚など考えたことがありませんが、
反面、変わったことがあったわけでもありません。
27歳の彼女も同様にすばらしい生活を送れるようになりました。
しかし、男の子のほうはこう言っています。
「母親が代わりに彼女を探さなければならない歳
になったとは思わなかった。
だから初めのころはとても変な感じだった。」と。
4月23日はこの新婚カップルにとって
永遠に忘れられない日になりました。
この日、双方の母親が公園で出会ったのです。
ある日、北京では風力6か7の強風が吹き荒れました。
女の子の母親は公共交通機関で2時間、
男の子の母親は自転車で1時間半かけて、
なんとか公園に着きました。
女の子は当時の状況を思い出して、
今でも母親に感謝しています。
「母親がこんな強風にもかかわらず
私のことを心配してくれたことを知って、
それまでの不平不満は吹き飛びました。
だから私は相手に会いに行こうと決めたんです。
母親の今回の縁組が私たちの
一生でいちばん大切な幸せになるなんて
想像もしていませんでした。」
と、女の子は言います。
こんなことを言った人がいました。
「親が年取ったら、いちばん大切な仕事は子供の世話だ。
それがないと、彼らはさびしくて落ち込んでしまう。」と。
そのとおりですね。
作家は心理面から親たちの考えを表現しますが、
子供のことをしたことのある人はみな
親の気持ちを体験するのではないでしょうか?
老人たちが強い日差しや寒風に負けず、
公園で1時間も2時間もたち続けるのは誰のためでしょう?
永遠に愛し続ける子供のためですね。
子供が成長すると、一人で飛んで行かなければなりません。
でも、彼らが飛び出す力のすべては
両親からもらっているのです。
彼らが話すことはボヤキかもしれません。
考えていることは古くさいかもしれません。
でも子供に対する愛は色あせることはありません。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-15
彼らは集まって我が子の結婚の計画するのです。
ぴったりの老人に会うと、
相手方の子供のだいたいの事情をしっかりメモして、
帰ってから自分の子供の参考にするのです。
現在までに親の公園での縁組で
恋愛関係が確定した子供たちのカップルは100組にのぼる
という報道もあります。
私の身近にもこういうふうにして結婚した
新婚さんがいます。
彼らはこの方法で恋愛し、
結婚というゴールまで駆け抜けます。
彼らの満面の幸せそうな表情を見てください。
彼らは母親が公園でこの種の集会に参加することに
反対したことがないだろうと思えます。
女の子は27歳。
彼女は今まで恋愛もしたことがなく、
自分の結婚など考えたことがありませんが、
反面、変わったことがあったわけでもありません。
27歳の彼女も同様にすばらしい生活を送れるようになりました。
しかし、男の子のほうはこう言っています。
「母親が代わりに彼女を探さなければならない歳
になったとは思わなかった。
だから初めのころはとても変な感じだった。」と。
4月23日はこの新婚カップルにとって
永遠に忘れられない日になりました。
この日、双方の母親が公園で出会ったのです。
ある日、北京では風力6か7の強風が吹き荒れました。
女の子の母親は公共交通機関で2時間、
男の子の母親は自転車で1時間半かけて、
なんとか公園に着きました。
女の子は当時の状況を思い出して、
今でも母親に感謝しています。
「母親がこんな強風にもかかわらず
私のことを心配してくれたことを知って、
それまでの不平不満は吹き飛びました。
だから私は相手に会いに行こうと決めたんです。
母親の今回の縁組が私たちの
一生でいちばん大切な幸せになるなんて
想像もしていませんでした。」
と、女の子は言います。
こんなことを言った人がいました。
「親が年取ったら、いちばん大切な仕事は子供の世話だ。
それがないと、彼らはさびしくて落ち込んでしまう。」と。
そのとおりですね。
作家は心理面から親たちの考えを表現しますが、
子供のことをしたことのある人はみな
親の気持ちを体験するのではないでしょうか?
老人たちが強い日差しや寒風に負けず、
公園で1時間も2時間もたち続けるのは誰のためでしょう?
永遠に愛し続ける子供のためですね。
子供が成長すると、一人で飛んで行かなければなりません。
でも、彼らが飛び出す力のすべては
両親からもらっているのです。
彼らが話すことはボヤキかもしれません。
考えていることは古くさいかもしれません。
でも子供に対する愛は色あせることはありません。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-15
Opening Talk from 情感世界(9/13)
2005年9月14日 情感世界 コメント (2)「楊先生、どこにいらっしゃるんですか?」劉文
20数年前仕事の関係で元鉄道部の永済電気工場の中学の
楊先生と知り合った。
その後、頻繁に職場が変わったため彼女との連絡は途絶えた。
20年後ふたたび先生の住所を知ったとき、
先生はすでに病気で亡くなってしまったとのことだった。
私は子供のように声が出ないほど号泣した。
当時の先生といた風景が、
映画の中の回想シーンのように、
ひとつひとつ目の前によみがえってきた。
1978年、私は軍隊に入隊し中条山のふもと、
黄河の岸辺の山西省永済に、
空軍部隊の地上兵士としてやって来た。
軍は私を子弟小学校の校外指導員として配属した。
音楽を教えていた楊立先生と出会ったのは
その小学校でのことだった。
楊先生は熱心でてきぱきと仕事をこなし、
まじめな人で強く印象に残っている。
あるとき楊先生が私のために用意してくださった
家庭でのもてなしの席上で、
彼女は私の状況を理解した上で、
努力して勉強し、軍学校を受けるよう激励してくださった。
彼女は、部隊は志気と教養のある若者を必要としています。
とおっしゃった。
私の復習のために楊先生はわざわざ高校の教科書と
復習教材を探してくださった。
志有るものは苦を恐れず。
1981年、私は希望通り軍学校に進学した。
楊先生との別れの語らいのとき、
彼女は優しいお母さんが旅立つ子供に
言い含めるように、
たくさんの激励の言葉をいただき、
たくさん注意すべきことを教えていただいた。
学校からはいつも楊先生に手紙を書いて、
私の学習状況を報告していた。
楊先生の手紙を読み、
楊先生が万年筆で書いた美しい字を見ると、
心の中には自信と力がみなぎった。
卒業後、私は飛行学院の航空理論の教員になり、
永済を離れ、楊先生と遠く離れてしまった。
最初の数年間は手紙をやり取りしていたが、
その後だんだんと連絡が途絶えるようになった。
この10年で私は家庭を持ち、子供が生まれ、
仕事でもある程度の成績を収めた。
何度も褒章をいただき、
全軍中で優秀な教師に選ばれたりした。
副教授に昇進し、大校という階級をいただいた。
以前こんな日が来ることを夢見たことがあった。
旧ソ連の有名な映画「田舎の女教師」
の一場面のような日を。
当時の生徒の多くは今では科学者や、
戦闘の英雄、エンジニア、将軍になった。
私たちは楊先生のところに集まり、
先生をびっくりさせて、
私たちのことを誇りに思ってもらおうと思った。
私はとうとう永済にくるチャンスを得た。
しかし、思いもしなかった先生の訃報に触れた。
先生のお墓の周りは果樹で囲まれていた。
桃とスモモ(「教え子」のたとえとしても使う)が
枝にいっぱいだ
私はちょっとほっとした。
こんなにたくさんの
桃李(上記「桃とスモモ=教え子」)が
先生に付き添っていれば、
先生もさびしくはないだろうと。
私は大切な楊先生の墓前で軍隊式の敬礼をした。
これが戦士として、教師として、定員外の生徒として、
先生に対する最高の敬意の表現であった。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-14
20数年前仕事の関係で元鉄道部の永済電気工場の中学の
楊先生と知り合った。
その後、頻繁に職場が変わったため彼女との連絡は途絶えた。
20年後ふたたび先生の住所を知ったとき、
先生はすでに病気で亡くなってしまったとのことだった。
私は子供のように声が出ないほど号泣した。
当時の先生といた風景が、
映画の中の回想シーンのように、
ひとつひとつ目の前によみがえってきた。
1978年、私は軍隊に入隊し中条山のふもと、
黄河の岸辺の山西省永済に、
空軍部隊の地上兵士としてやって来た。
軍は私を子弟小学校の校外指導員として配属した。
音楽を教えていた楊立先生と出会ったのは
その小学校でのことだった。
楊先生は熱心でてきぱきと仕事をこなし、
まじめな人で強く印象に残っている。
あるとき楊先生が私のために用意してくださった
家庭でのもてなしの席上で、
彼女は私の状況を理解した上で、
努力して勉強し、軍学校を受けるよう激励してくださった。
彼女は、部隊は志気と教養のある若者を必要としています。
とおっしゃった。
私の復習のために楊先生はわざわざ高校の教科書と
復習教材を探してくださった。
志有るものは苦を恐れず。
1981年、私は希望通り軍学校に進学した。
楊先生との別れの語らいのとき、
彼女は優しいお母さんが旅立つ子供に
言い含めるように、
たくさんの激励の言葉をいただき、
たくさん注意すべきことを教えていただいた。
学校からはいつも楊先生に手紙を書いて、
私の学習状況を報告していた。
楊先生の手紙を読み、
楊先生が万年筆で書いた美しい字を見ると、
心の中には自信と力がみなぎった。
卒業後、私は飛行学院の航空理論の教員になり、
永済を離れ、楊先生と遠く離れてしまった。
最初の数年間は手紙をやり取りしていたが、
その後だんだんと連絡が途絶えるようになった。
この10年で私は家庭を持ち、子供が生まれ、
仕事でもある程度の成績を収めた。
何度も褒章をいただき、
全軍中で優秀な教師に選ばれたりした。
副教授に昇進し、大校という階級をいただいた。
以前こんな日が来ることを夢見たことがあった。
旧ソ連の有名な映画「田舎の女教師」
の一場面のような日を。
当時の生徒の多くは今では科学者や、
戦闘の英雄、エンジニア、将軍になった。
私たちは楊先生のところに集まり、
先生をびっくりさせて、
私たちのことを誇りに思ってもらおうと思った。
私はとうとう永済にくるチャンスを得た。
しかし、思いもしなかった先生の訃報に触れた。
先生のお墓の周りは果樹で囲まれていた。
桃とスモモ(「教え子」のたとえとしても使う)が
枝にいっぱいだ
私はちょっとほっとした。
こんなにたくさんの
桃李(上記「桃とスモモ=教え子」)が
先生に付き添っていれば、
先生もさびしくはないだろうと。
私は大切な楊先生の墓前で軍隊式の敬礼をした。
これが戦士として、教師として、定員外の生徒として、
先生に対する最高の敬意の表現であった。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-14
Opening Talk from 情感世界(9/12)
2005年9月13日 情感世界 コメント (2)先日、短いお話をとても興味深く読みました。
お百姓さんが1頭のロバを引いて行くお話です。
ロバがうっかり古井戸の中に落っこちてしまいました。
ロバは井戸の中で悲痛な叫び声を上げていました。
お百姓さんは知恵を絞りましたが、
ロバを助ける方法を思いつきません。
しかたなく放っておくことにしました。
お百姓さんは思いました。
「どっちみちこのロバは年寄りだから、
一生懸命になって助け出す値打ちもありゃしない。」と。
ただ、この井戸の口は
土でふさいでしまわなければなりません。
ロバの死臭が漂ったりすると困りますから。
そこで、お百姓さんはたくさんの人を呼んで来て、
ロバを埋めてしまうことにしました。
最初の鍬の土を放り込んだそのとき、
ロバは自分の置かれている境遇を理解して、
悲惨な泣き声をあげ始めました。
しかし、意外にもすぐに静かになってしまいました。
お百姓さんは不思議に思って、
井戸の中をのぞきこみました。
目の前の光景を見て彼はびっくりしました。
井戸に放り込んでいる土はロバの背中にあたると、
ロバはその土を振り払ってわきに落とし、
その土の上に登っているのでした。
こうしてロバはみんながロバの体の上に
放り込んでいる土を
全部井戸の中に振り払って、
さらに登ってきます。
そうこうしているうちに、
このロバは井戸の口のところまで登ってしまいました。
そしてみんながあっけにとられている目の前で、
さっさと逃げ去ってしまいました。
でも、私たちが生きていく上で、
ときにはどうしてもお話のロバのように、
古井戸に落ちてしまうことがあります。
いろいろな土をかけられるかもしれません。
しかし古井戸から逃げ出すための秘訣は、
土を払いのけ自分がその上に
登ってしまうことだったのです。
こうして土を自分の足場にしてしまうことで、
私たちはもっと高いレベルに達することができます。
こんな心構えと
「楔而不舍(くさびを打ち込んだら、途中でやめない)」
の精神さえあれば、
たとえとても深い井戸に落ちようとも、
私たちは無事脱出することができるのです。
そう思いませんか?
≫中国語放送文
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-13
お百姓さんが1頭のロバを引いて行くお話です。
ロバがうっかり古井戸の中に落っこちてしまいました。
ロバは井戸の中で悲痛な叫び声を上げていました。
お百姓さんは知恵を絞りましたが、
ロバを助ける方法を思いつきません。
しかたなく放っておくことにしました。
お百姓さんは思いました。
「どっちみちこのロバは年寄りだから、
一生懸命になって助け出す値打ちもありゃしない。」と。
ただ、この井戸の口は
土でふさいでしまわなければなりません。
ロバの死臭が漂ったりすると困りますから。
そこで、お百姓さんはたくさんの人を呼んで来て、
ロバを埋めてしまうことにしました。
最初の鍬の土を放り込んだそのとき、
ロバは自分の置かれている境遇を理解して、
悲惨な泣き声をあげ始めました。
しかし、意外にもすぐに静かになってしまいました。
お百姓さんは不思議に思って、
井戸の中をのぞきこみました。
目の前の光景を見て彼はびっくりしました。
井戸に放り込んでいる土はロバの背中にあたると、
ロバはその土を振り払ってわきに落とし、
その土の上に登っているのでした。
こうしてロバはみんながロバの体の上に
放り込んでいる土を
全部井戸の中に振り払って、
さらに登ってきます。
そうこうしているうちに、
このロバは井戸の口のところまで登ってしまいました。
そしてみんながあっけにとられている目の前で、
さっさと逃げ去ってしまいました。
でも、私たちが生きていく上で、
ときにはどうしてもお話のロバのように、
古井戸に落ちてしまうことがあります。
いろいろな土をかけられるかもしれません。
しかし古井戸から逃げ出すための秘訣は、
土を払いのけ自分がその上に
登ってしまうことだったのです。
こうして土を自分の足場にしてしまうことで、
私たちはもっと高いレベルに達することができます。
こんな心構えと
「楔而不舍(くさびを打ち込んだら、途中でやめない)」
の精神さえあれば、
たとえとても深い井戸に落ちようとも、
私たちは無事脱出することができるのです。
そう思いませんか?
≫中国語放送文
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-13
Opening Talk from情感世界(9/9)
2005年9月12日 情感世界先日新聞である記事を読みました。
いかがわしい携帯メールが間違って送られてきた話です。
そのために夫婦は大喧嘩となり、
危うく離婚するところでした。
内容はこうです。
妻がある夜、携帯メールを受信しました。
そのメールにはこう書いてあります。
「私は一生あなたを愛し続けます。
ほんとうです。
あなたは私の宝物です。
あなたがいない生活など意味がありません。
あなたの気持ちは私にしかわかりません。
あなたは最高に優しい目をしています。」
彼女はこれを読んで笑って言いました。
だれがこんなの間違って送ったのかしら、と。
同様のことはもう1、2回あったので、
気にも留めませんでした。
次の日、なんと夫が
このアツアツのメールを見つけ、
その場で不倫なのか、と妻を問い質しました。
妻はきっぱりと否定しました。
そして二人は喧嘩を始めました。
喧嘩の騒ぎは何日も続き、結論は出ませんでした。
その後夫から離婚と言う
ショッキングな言葉まで飛び出しました。
妻もこんな女にもてない男なんて
別れてしまえばいいわ、と思いました。
でも、妻はそれでは自分の濡れ衣は晴らせないと思いました。
自分の潔白を証明するために、
夫の目の前で送信された携帯番号に
電話をかけました。
そして夫にその電話に出させました。
送信者は状況を聞いた後、言いました。
そのメールは彼が打ったものだと。
しかし、それはその妻宛に
打たれたものではありませんでした。
彼はまったくその妻とは面識がなく、
ガールフレンドが番号を一桁言い間違えて、
ガールフレンド宛のメールが間違って、
妻の携帯に届いてしまったと言うわけです。
彼はそのために夫婦喧嘩が何日も続いたことを知り、
彼らに何度も謝りました。
その上、からかって
「親指族が起こした災難でしたね。
真相はすべて明らかになりました。」
と言いました。
夫婦の間の誤解は解け、
すぐに真相が明らかになったため、
大事には至りませんでした。
しかし生きていく上で多くの夫婦は、
疑いから愛情や家庭を壊してしまい、
一大事になることが少なくありません。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-12
いかがわしい携帯メールが間違って送られてきた話です。
そのために夫婦は大喧嘩となり、
危うく離婚するところでした。
内容はこうです。
妻がある夜、携帯メールを受信しました。
そのメールにはこう書いてあります。
「私は一生あなたを愛し続けます。
ほんとうです。
あなたは私の宝物です。
あなたがいない生活など意味がありません。
あなたの気持ちは私にしかわかりません。
あなたは最高に優しい目をしています。」
彼女はこれを読んで笑って言いました。
だれがこんなの間違って送ったのかしら、と。
同様のことはもう1、2回あったので、
気にも留めませんでした。
次の日、なんと夫が
このアツアツのメールを見つけ、
その場で不倫なのか、と妻を問い質しました。
妻はきっぱりと否定しました。
そして二人は喧嘩を始めました。
喧嘩の騒ぎは何日も続き、結論は出ませんでした。
その後夫から離婚と言う
ショッキングな言葉まで飛び出しました。
妻もこんな女にもてない男なんて
別れてしまえばいいわ、と思いました。
でも、妻はそれでは自分の濡れ衣は晴らせないと思いました。
自分の潔白を証明するために、
夫の目の前で送信された携帯番号に
電話をかけました。
そして夫にその電話に出させました。
送信者は状況を聞いた後、言いました。
そのメールは彼が打ったものだと。
しかし、それはその妻宛に
打たれたものではありませんでした。
彼はまったくその妻とは面識がなく、
ガールフレンドが番号を一桁言い間違えて、
ガールフレンド宛のメールが間違って、
妻の携帯に届いてしまったと言うわけです。
彼はそのために夫婦喧嘩が何日も続いたことを知り、
彼らに何度も謝りました。
その上、からかって
「親指族が起こした災難でしたね。
真相はすべて明らかになりました。」
と言いました。
夫婦の間の誤解は解け、
すぐに真相が明らかになったため、
大事には至りませんでした。
しかし生きていく上で多くの夫婦は、
疑いから愛情や家庭を壊してしまい、
一大事になることが少なくありません。
≫中国語原文はこちらから
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-12
Opening Talk from 情感世界(9/8)
2005年9月12日 情感世界私の友達に事業で成功し、
別荘を3箇所も買って、出かけるにも運転手つき、
という人がいます。
でも、これほどになってもまだうれしくはないようです。
原因は簡単、彼は自分では成功したとは思っていないからです。
彼の目標はマイクロソフトのような会社を持つこと。
何千万もする別荘を買う人をうらやんでいるのです。
しかし、その彼の弁護士から見れば
彼の事業輝ける成功を収めたと言えるのです。
この弁護士は私に言いました。
「3箇所も別荘を買っておいてまだ悩むとは、
お金持ちの気持ちは私ら凡人には想像もできませんね。」
私はびっくりしました。
この弁護士は業界では有名人で、
商売は飛ぶ鳥を落とす勢い。
それでも私の友達のことをうらやんでいるのです。
私の友達のレベルになるまでは
成功したとはいえないようです。
私の友達はもっとお金を持っている人をうらやみます。
弁護士は彼をうらやみます。
彼らの比較はいつまでたっても終わりません。
自分が成功者だと思わないので、喜びもありません。
いったい成功とは何なのでしょうか?
どのようにすれば成功の喜びを
味わうことができるのでしょうか?
ラジオの前のリスナーのみなさんはどうお考えですか?
私はそのためにはまず心を落ち着ける必要があると思います。
多くの人はエリートになろうと、お金への道を突き進みます。
そのためにほかの人よりたくさん努力をするのです。
そうしているうちに
だんだん家族や友達とすごす時間が
なくなってしまう人も出てきます。
仕事の忙しさはますます単調なものになっていきます。
もちろん努力はしなければなりませんが、
心の平静を失ってはいけません。
ほら、どれだけの人があなたの生活をうらやんでいるか、
考えてみてください。
あなたが仕事を手に入れたときの喜びを
忘れてしまったのでしょうか?
興奮して、感激して、小さな達成感があったはずです。
あなたが仕事を手に入れたことは、
喜びの原因となるには十分なことなのです。
何年も後に商売がだんだんグレードアップしてくると、
あなたの笑顔はだんだんと少なくなってきます。
そんなとき以前の仕事を始めたばかりの気持ちに
戻ってみてほしいのです。
若いころに、心穏やかなころに。
そうすれば自信が持てると思います。
心の中の成功はもう目の前にあるのです。
≫中国語放送文
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-09
別荘を3箇所も買って、出かけるにも運転手つき、
という人がいます。
でも、これほどになってもまだうれしくはないようです。
原因は簡単、彼は自分では成功したとは思っていないからです。
彼の目標はマイクロソフトのような会社を持つこと。
何千万もする別荘を買う人をうらやんでいるのです。
しかし、その彼の弁護士から見れば
彼の事業輝ける成功を収めたと言えるのです。
この弁護士は私に言いました。
「3箇所も別荘を買っておいてまだ悩むとは、
お金持ちの気持ちは私ら凡人には想像もできませんね。」
私はびっくりしました。
この弁護士は業界では有名人で、
商売は飛ぶ鳥を落とす勢い。
それでも私の友達のことをうらやんでいるのです。
私の友達のレベルになるまでは
成功したとはいえないようです。
私の友達はもっとお金を持っている人をうらやみます。
弁護士は彼をうらやみます。
彼らの比較はいつまでたっても終わりません。
自分が成功者だと思わないので、喜びもありません。
いったい成功とは何なのでしょうか?
どのようにすれば成功の喜びを
味わうことができるのでしょうか?
ラジオの前のリスナーのみなさんはどうお考えですか?
私はそのためにはまず心を落ち着ける必要があると思います。
多くの人はエリートになろうと、お金への道を突き進みます。
そのためにほかの人よりたくさん努力をするのです。
そうしているうちに
だんだん家族や友達とすごす時間が
なくなってしまう人も出てきます。
仕事の忙しさはますます単調なものになっていきます。
もちろん努力はしなければなりませんが、
心の平静を失ってはいけません。
ほら、どれだけの人があなたの生活をうらやんでいるか、
考えてみてください。
あなたが仕事を手に入れたときの喜びを
忘れてしまったのでしょうか?
興奮して、感激して、小さな達成感があったはずです。
あなたが仕事を手に入れたことは、
喜びの原因となるには十分なことなのです。
何年も後に商売がだんだんグレードアップしてくると、
あなたの笑顔はだんだんと少なくなってきます。
そんなとき以前の仕事を始めたばかりの気持ちに
戻ってみてほしいのです。
若いころに、心穏やかなころに。
そうすれば自信が持てると思います。
心の中の成功はもう目の前にあるのです。
≫中国語放送文
http://yujinxiang.exblog.jp/d2005-09-09