ポタラ宮殿は山沿いに建っているので、そこへ行くには少し高いところまで登らなければならない。やはり高原だけあって、歩くのは骨が折れ、疲れやすい気がする。私は地元の老人と同行した。老眼鏡をかけている彼は、学がありそうに見える。前歯が1本なく、かなりの年齢に違いない。とても優しい人だ。どう行ったらわからなかったので、彼に道を尋ねると、私の質問の内容にだいたい察しがついたようで、身振り手振りを交えながらいっしょについて来ればよい、と私に言ってくれた。彼はチベット語を話し、私は中国語を話すが、言っていることは同じことだった。それは「疲れた。」という言葉だった。喘ぎながらかなりの時間歩いた。老人は別の道から降りて行かなければならなかった。彼は右側を指差して、やっとのことで中国語を発した。「あそこだ。着いたぞ。」そのあと私に向かって手を振りながら別れを告げた。ラサで出会う人々はみなとても親切だ。彼らの多くは中国語が話せないが、私が尋ねるといつも、彼らはできる限り助けてくれる。ラサが気に入った理由を挙げるとすれば、それは最も純朴な彼らが、世界最後の純粋な人々が大好きだということだ。つまり、彼らの善良な真心と飾り気のなさが気に入ったのだ。

  ポタラ宮殿は白宮と紅宮の2つに分かれている。私が最初に行ったのは紅宮のほうだ。紅宮は神仏を祭り宗教儀式を執り行う場所だ。宮内には8つのストゥーパがある。なかでも5世ダライ・ラマと13世ダライ・ラマのものが最も豪華だ。ストゥーパの建造には大量の黄金と宝石が必要だった。こんなにたくさん保存状態のよい貴重な珍宝を見たのは初めてだった。まさしく至宝を見た感激であった。チベット仏教でいちばん印象深かったのは彼らが女神を祭っていることだった。女性の地位が比較的高いという証しでもある。紅宮には完全な仏教経典が保存されているとも言われている。唐僧が天竺からお経をもたらしたとき、一部を失った。そのためチベット族の仏教経典は漢族のものより完全なのだ。これはポタラ宮殿のチベット族のガイドが教えてくれたことだが、実証はまだされておらず、真偽の程は定かでない。彼はまた、8カ国軍と日本人はチベットに侵入しようと企てたが、当時のラマが法力を発揮し幾日幾晩も念仏を唱えた結果、悪者たちがやって来ることはなかった。それでラサは平和なままだったのだ、と教えてくれた。この神秘的な土地では、ほんとうに神のご加護があったのかもしれない。彼らは空にこんなにも近く、天国に人が存在するとしたら、きっとそれはラサのことだろう。

written by 阿依黛
http://wind.yinsha.com/letters/show.phtml?aid=2004010612542301

参考サイト(画像と用語の解説を参考にさせていただきました)
http://www.tibethouse.jp/home.html

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