ある大殿の門の前に来た。チベット族の人たちが長い列をなしている。次から次へとぎっしり並んでいる。ある中国語が聞き取れる女性に尋ねたところ、彼らはとても大切な仏様を参拝するところなのだという。彼女は仏様の名前を言ったが、チベット語の発音だったため、覚えていない。しかし、その前後びっしりとつながったチベット族の列はとても深く印象に残った。

  ある2階建てのベランダから、私は向かい側のベランダに坐ってひなたぼっこをしている子供のラマを眺めていた。そのうちひとりはサングラスをかけていた。彼らふたりはときおり何か言葉を交わしているが、挙動は子供っぽく、私がレンズを向けているのに気がつくと、そのうちひとりが力いっぱい手を振った。とても恥ずかしがっているようで、私は急いでカメラを別の方向に向け、笑いながら手まねでだいじょうぶだから、と彼らに伝えると、やっとのことで私の説得に応じ、ふたりは私のレンズに向かって堅苦しく笑ってくれた……

  階下に下りると、かなりの年齢のラマがつらそうに階段を降りてきた。どうやら80歳から90歳ぐらいだろうか。ふたりの若いラマが彼を支えながら読経をする殿堂に入っていった。若いふたりは彼にお茶を入れ、ゆっくりと彼を坐らせた。卓の前には1冊の厚い経典がある。ほかにも何人かラマが着席し、1列になり、読経が始まった。こんなに近くでラマたちの修行の様子を見るのはこれが初めてだ。頭を下げて警策でたたかれているラマもいる。チベットの人たちは相変わらず順番に乳脂を注いでいる。ときどきラマが前を歩き、彼らを引き連れて読経し、乳脂ランプをかきたてて明るくしていく。宮殿内はほの明るい。まるで仏様の後光のようだ。ここで私は深く揺り動かされた。こんなに敬虔な人々を見たことがなかった。太陽に最も近い場所だからかもしれない。天国がここにあるのだ。彼らは仏に最も近い人々だ。彼らの前では、私の俗世間でのいわゆる悲哀や不愉快さなどすべて取るに足らない恥ずかしいものでしかない。彼らの前では、自分のちっぽけさと俗っぽさに気づかされる。

  もしいつか私が最後に帰る場所を選ぶことができるとしたなら、私は彼らといっしょに、金色のルンタの中を進み、霊魂が最も純粋でいられる土地を探し出したいと思う。

written by 阿依黛
http://wind.yinsha.com/letters/show.phtml?aid=2004010612542301

参考サイト(画像と用語の解説を参考にさせていただきました)
http://www.tibethouse.jp/home.html

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