街には何件かインドやネパールの工芸品を売っている店もあった。入り口には大きなインド美女の写真が貼ってある。その美しい目は人の心を惑わさずにはいない。店じゅうにインド音楽が漂うように流れている。その大胆なデザインと独特な形の宝石は心を踊らせる。そこにはインドのスカートまであった。デザインはべトナム娘のアオザイにちょっと似ている。生地は化繊のジョーゼットの一種だろう。首のところには長い襟がついている。全体がピンク色をしたものも、薄水色をしたものもある。おそらく夏物の売れ残りを掛けてあったのだろう。買っていくのはどこの家のお嬢さんなのか。主人の口調は浙江省なまりのように聞こえる。浙江人がチベットでインドの品物を売っているとは、ちょっとおもしろい。おかしいのは、私が麗江(雲南省の景勝地http://www.ljly.org/)にいるときは強烈にチベットが私を呼んでいると感じていたのだが、チベットに来てみると今度は明らかにインドの誘惑を感じるということだ。私は絶えずさすらって行く運命なのかもしれない。前世の私はチベットの遊牧民だったのだろうか?

  大昭寺にはまだたくさんの参拝者がいた。遥か彼方から寺院の読経の声が聞こえる。まるで天の声のようにありがたく心地よく聞こえる。たくさんの遠くからやって来たチベット族の人たちは、ラサの寺院のすべての仏様を参詣し終わると、手にした餅の最後のひとカケを食べ、帰宅の途につく。帰る前に八廓街の写真館で記念写真を記念写真でも撮っているのだろう。お年寄りのおばあさん、ふたりの孫は片方は背が高く、片方はまだ小さい。そしてちょうど働き盛りの年代のお父さん。全員チベットの民族衣装を着ている。写真館の布の背景の前で2列になって並んでいる。背景に描かれているのはポタラ宮殿、上の方には“ラサの思い出”と大きな字で書かれている。彼らの表情はいたってまじめで、みな手にはプラスチックの花を持っている。撮影者は後ろのほうで写真を撮ってもらおうと並んでいる人たちに慌しく券を配る。彼らの写真を撮っている余裕もない様子だが、勝手に自分たちでポーズを取らせている。彼らはまだどれだけ待たなければならないだろう。純朴な彼らはその格好のままカメラの前に立っている。視線さえ動かそうとしない。彼らがこのとき期待して待っているのは、写真だけではないのかもしれない。遥か遠くの家で待っている家族にラサの神聖さとラサに来た驚きと喜びを持ち帰ろうとしているのだろう。

written by 阿依黛
http://wind.yinsha.com/letters/show.phtml?aid=2004010612542301

参考サイト(画像と用語の解説を参考にさせていただきました)
http://www.tibethouse.jp/home.html

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