後漢時代、有名な文学者で教育家でもある鄭玄という人がいた。彼は小さいころから勤勉で勉強好きだった。太守杜密は彼が見込みのある人材だと思って、彼を太学に入れて勉強できるように推薦した。その後鄭玄は大文学者の馬融を師と仰ぎ、彼の門下で学んだ。鄭玄が学成りそこを出て行くとき、馬融は感慨にふけりながら言った。「鄭玄が出て行く、私の知識をすべて持ち去って行く。」と。

  鄭玄は家で学問研究に励んでいた。彼と経学を研究していた何休は親友だった。何休は≪公羊墨守≫、≪左氏膏盲≫、≪谷梁廃疾≫という3篇の文章を書いた。鄭玄はそれを読み終わると、彼の意見に反対し、≪発墨守≫、≪針膏盲≫、≪起癈疾≫という文章を書いて、何休に反論した。何休は読み終わると、鄭玄が自分の文章中の観点を利用して自分の意見に反論していることを知った。その上、筋道が通っており、残念ながらこう言わざるをえなかった。「あなたは私の部屋に入ってきて、私の武器を使って、私を攻めているんじゃないのですか?」と。

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