人死留名(人は死して名を残す)
2004年11月12日 連載 王彦章は五代の人だった。彼は若いころ梁太祖に随行して戦い、少なからぬ戦功を立てた。太祖の死後は末帝のために梁朝の国家基盤をゆるぎないものにし、その功績はかなりのものだった。しかし、王彦章が2度続けて後唐攻略に失敗したのを機会に、日頃から彼に反感を抱いていた者たちは、末帝に王彦章の悪口を言った。ついには王彦章は軍の指揮権を取り上げられた。半年もたたないうちに、後梁は国家の危機に瀕することになり、再度王彦章の出馬を請うことになった。
あるとき、王彦章は唐兵に生け捕りにされた。後唐庄宗は彼の才能を買って、将校になってくれと頼んだ。王彦章は言った。「将校になるような人間なら、朝にこちらの国で力を尽くし、夜にはもう一方の国で仕事をする、といったようなことはしないでしょう。どうか王様、私に一太刀下してください。恨み言は申しません。ただ光栄に思うだけでございます。」とうとう彼は死ぬことになってしまったが、死んだ後にはすばらしい名声を残すことになった。
http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=202
あるとき、王彦章は唐兵に生け捕りにされた。後唐庄宗は彼の才能を買って、将校になってくれと頼んだ。王彦章は言った。「将校になるような人間なら、朝にこちらの国で力を尽くし、夜にはもう一方の国で仕事をする、といったようなことはしないでしょう。どうか王様、私に一太刀下してください。恨み言は申しません。ただ光栄に思うだけでございます。」とうとう彼は死ぬことになってしまったが、死んだ後にはすばらしい名声を残すことになった。
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