秦代末期、韓信は楚軍の隊列の属し、幾多の戦争に参戦していたが、とうとう重用されることはなかった。その後、楚軍は項羽の指揮するところとなったが、項羽もなかなか韓信を重用しようとはしなかった。このため彼は劉邦の率いる漢軍に身を投じ活路を見出す決意をした。韓信はもともと有名な人物ではなかったので、漢軍の中に入った後もチャンスに恵まれなかった。長い間待ったがやはり音沙汰もなく、とうとうしかたなく怒りの気持ちを抱きながら、何も言わずに去って行った。漢軍の大将蕭何は韓信が得がたい人材であることを見抜いていたので、すぐに早馬に鞭をあて韓信を追いかけて連れ戻した。そして漢王に韓信を大将に抜擢するよう上申した。

 韓信は大将になった後、関中の三秦の地を手に入れた。韓信が斉国を打ち破ったころ、漢王はちょうど項羽を窮地に追い込んでいた。このとき韓信は自分を斉王にするように要求した。漢王は承諾せざるを得なかった。韓信は30万の軍を率いて蘇北を攻め落とし、項羽の楚軍を垓下において包囲した。勇敢な項羽に対してはもっぱら一歩一歩慎重な戦術を用い、ついには項羽の楚軍を打ち破った。

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