衛庄公の妾に州吁という名の息子がいた。小さいころから寵愛を受けていたが、正業にも就かず、1日中ただ剣や槍を持って踊り遊んでいた。そのころ、大夫石[石昔]にも石厚という息子がいた。州吁とは意気投合して悪さをしでかし、とても仲がよかった。その後、衛庄公が亡くなり、公子完が位を継いで衛恒公となった。このとき、石[石昔]は年もとり、州吁の行いに不満も感じていたので、隠居を願い出て故郷に帰った。

 ある日、衛恒公は、周王に見るため洛邑に赴いた。州吁と石厚は見送りを装って衛恒公を殺し、王位を奪った。しかし彼らは人心を掌握できなかったので、石[石昔]に人心を落ち着かせてくれるよう援助を願い出た。石[石昔]は助けを求めてきた息子に対して言った。「お前たちは陳恒公の援助をもらって、周王の目の前で説明をし、周王の賛同を得るのじゃ。」石厚と州吁は貢物を持って陳国に赴いた。そこでは石[石昔]が裏から陳恒公に手を回し、君王殺しの犯人を捕らるように密告していたのだった。石厚と州吁は陳国に到着するなりすぐに捕まってしまった。そして、陳王は人を遣わして、この犯人2人をどうしたらよいか尋ねさせた。石[石昔]は「この坊主どもは不忠不孝の輩。生かしておいて何の役に立ちましょうか?」と答え、2人を殺させた。石[石昔]はこのようにして後代の人々の称賛を得た。後に人々はこのような行為を「大義滅親」と呼ぶようになった。

http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=198

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