不耻下問(目下の者や未熟な者に教えを請うのを恥としない)
2004年11月26日 連載 衛国の大夫孔圉は頭がよく勉強好きだった。さらに彼の偉いところは、とても謙虚な人間だったことだ。孔圉の死後、衛国の君主は後世の人が彼の好学精神を学び発揚するように、特別に彼に“文公”の称号を授けた。それで、後世の人は彼を“孔文子”の尊称で呼ぶようになった。
孔子の弟子の子貢も衛国の人だった。しかし、彼は孔圉はそのような高い評価にふさわしくないと考えていた。あるとき、彼は孔子に尋ねた。「孔圉の学問と才能はすぐれているとは言え、彼より傑出した人は多くいます。どうして孔圉は“文公”の称号を賜ったのでしょうか?」孔子はそれを聞くと微笑みながら答えた。「孔圉はとても勤勉だった。頭がよくて回転が速いだけでなく、何かわからないことがあれば、相手の地位や学問が自分より下であっても、おおらかに気にもかけず、謙虚に教えを請うた。そんなことでは全く恥ずかしいとも思わなかったというところが、彼の偉いところだ。そのために彼は“文公”の称号を賜ったのだ。決してふさわしくないことなどはない。」孔子のこの説明を聞いて、子貢もついには納得したのであった。
http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=194
孔子の弟子の子貢も衛国の人だった。しかし、彼は孔圉はそのような高い評価にふさわしくないと考えていた。あるとき、彼は孔子に尋ねた。「孔圉の学問と才能はすぐれているとは言え、彼より傑出した人は多くいます。どうして孔圉は“文公”の称号を賜ったのでしょうか?」孔子はそれを聞くと微笑みながら答えた。「孔圉はとても勤勉だった。頭がよくて回転が速いだけでなく、何かわからないことがあれば、相手の地位や学問が自分より下であっても、おおらかに気にもかけず、謙虚に教えを請うた。そんなことでは全く恥ずかしいとも思わなかったというところが、彼の偉いところだ。そのために彼は“文公”の称号を賜ったのだ。決してふさわしくないことなどはない。」孔子のこの説明を聞いて、子貢もついには納得したのであった。
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