匹夫之勇(血気にはやるだけの向こう見ずな勇気)
2005年1月20日 連載 項羽は敗軍の将ではあるが、司馬遷は彼を称賛して「当時の秦の政治は腐敗し、人々は次々と反乱を起こした。項羽は陳の地からこの地方に軍を率いて反乱を起こし、、、前後たった3年という時間で、秦を滅ぼしてしまった。その後、天下を自らのものにし、各王侯貴族に領地を与え、一地方の覇主として権勢を誇った。その後、ついには覇主の地位を失ったものの、彼ほどの功績偉業を打ち立てた者は近世にいたるまでまだない。」と述べている。
劉邦は皇帝になって以後、洛陽の宮殿での宴会の席で群臣を招いたときにこう言った。「私が成功を収め、順調に天下を取ることができたのは、みなの特長を知ることができ、それをどうやって発揮させるかを心得ていたからだ。」そして、彼は韓信に自分の考え方について問うた。韓信は答えて言った。「大王様はご自分の各方面における才能と長所を把握しておられる。だから実に物分りがよくていらっしゃる。機知や才能の面では項羽には及びませぬが。しかし、私はかつてしばらくの間項羽に部下として仕えたことがございます。彼の性格、行動の仕方、才能についてはとてもよく知っております。項羽は勇猛で戦い上手、一騎当千の力を持ってはおりますが、いかにして人を用いるかを知りません。そのため優秀で傑出した賢臣良将が彼の下におりましても、残念なことに自分の力を発揮することができません。そういうわけで、項羽は勇猛ではあるが、所詮は匹夫の勇、ことをなすにも深謀遠慮がなく、よく考えて行動するということがない。しかるに大王様は賢人勇将を用い、天下を功績のあった将士に分け与え、人々を心から承服させていらっしゃいます。それだからこそ、天下は最後にはあなた様のものになったのでございます。」
http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=191
劉邦は皇帝になって以後、洛陽の宮殿での宴会の席で群臣を招いたときにこう言った。「私が成功を収め、順調に天下を取ることができたのは、みなの特長を知ることができ、それをどうやって発揮させるかを心得ていたからだ。」そして、彼は韓信に自分の考え方について問うた。韓信は答えて言った。「大王様はご自分の各方面における才能と長所を把握しておられる。だから実に物分りがよくていらっしゃる。機知や才能の面では項羽には及びませぬが。しかし、私はかつてしばらくの間項羽に部下として仕えたことがございます。彼の性格、行動の仕方、才能についてはとてもよく知っております。項羽は勇猛で戦い上手、一騎当千の力を持ってはおりますが、いかにして人を用いるかを知りません。そのため優秀で傑出した賢臣良将が彼の下におりましても、残念なことに自分の力を発揮することができません。そういうわけで、項羽は勇猛ではあるが、所詮は匹夫の勇、ことをなすにも深謀遠慮がなく、よく考えて行動するということがない。しかるに大王様は賢人勇将を用い、天下を功績のあった将士に分け与え、人々を心から承服させていらっしゃいます。それだからこそ、天下は最後にはあなた様のものになったのでございます。」
http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=191
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