日暮途窮(日暮れて道きわまる)
2005年1月30日 連載 戦国時代、楚平王の太子建にはふたりの先生がいた。ひとりは伍奢、もうひとりは費無忌である。費無忌は楚王に代わって秦国の女性を受け入れ妃としてた。このため費無忌は楚平王の目をかけてもらっていたのにもかかわらず、太子が即位してからは彼に不利な状況となり、彼は太子にありもしない罪を着せようとした。楚平王は意外にもそれを信じ、太子を辺境の地へと追いやった。しかし費無忌はそれでも安心できず、太子が報復のチャンスをうかがっているのではないかと心配し、伍奢を拘禁した上、人を遣わして太子を殺害した。
残忍な費無忌はそれでも落ち着くことはなかった。彼は伍奢にふたりの息子がいたのを思い出すと、また人を遣わして、伍奢と長男を殺害した。伍奢の次男伍員だけが生き延び逃げ出した。平王は費無忌のウソのため、伍員は反逆者だと信じ、伍員を捕らえるように命令を下した。伍員は一夜の間逃走いただけで髪もひげも真っ白になってしまった。その後、彼は呉国に逃げ延び、呉王を助け、兵を派遣して楚国を討つように提案した。5度の戦争の結果、とうとう楚国の都を陥落させた。このとき平王はすでに命を落としていた。伍員は父と兄の仇を討つため平王の死体を掘り返し、自ら屍に鞭打った。伍員の親友はこれを知り伍員をとがめたが、傷心の伍員は彼にこう言った。「私は道を行く人のようなものだ。日は暮れたが、まだ道は遠い。だから常識外のこともやるのだ。」と。
http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=189
残忍な費無忌はそれでも落ち着くことはなかった。彼は伍奢にふたりの息子がいたのを思い出すと、また人を遣わして、伍奢と長男を殺害した。伍奢の次男伍員だけが生き延び逃げ出した。平王は費無忌のウソのため、伍員は反逆者だと信じ、伍員を捕らえるように命令を下した。伍員は一夜の間逃走いただけで髪もひげも真っ白になってしまった。その後、彼は呉国に逃げ延び、呉王を助け、兵を派遣して楚国を討つように提案した。5度の戦争の結果、とうとう楚国の都を陥落させた。このとき平王はすでに命を落としていた。伍員は父と兄の仇を討つため平王の死体を掘り返し、自ら屍に鞭打った。伍員の親友はこれを知り伍員をとがめたが、傷心の伍員は彼にこう言った。「私は道を行く人のようなものだ。日は暮れたが、まだ道は遠い。だから常識外のこともやるのだ。」と。
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