清明節的由来与伝説(2)
2005年3月7日コメント (2)晋文公が政権を握った後、彼と苦楽をともにした家臣たちに論功行賞を行った。唯一、介子推だけが忘れ去られていた。晋文公の面前で介子推の代わりに不平をいう者があり、晋文公はハッとして昔のことを思い出し、心中恥じ入った。すぐに人を差し向け介子推を朝廷に呼びほうびと位を授けようとしたが、何度人を遣っても、介子推は来なかった。晋文公はやむなく自ら出向くことにした。しかし、晋文公が介子推の家に来てみると、門はしっかりと閉ざされていた。介子推は彼に会うのを避けて、すでに母親を背負って綿山(現在の山西省介休県東南)に隠れていたのだった。晋文公はすぐに彼の御林軍に綿山を捜索させたが、見つからない。そこで、ある者が提案した。山に火を放つのがいいのではないかと。三方に火をつけ一方だけ残しておけば、火が大きくなれば介子推は自ら逃げ出てくるだろう。そこで晋文公は山に火を焼くよう命令を下した。火は三日三晩燃え続けた。火事が収まった後になっても、介子推が出てこないなどとは誰が予想しえただろう。山に登ってみると、介子推親子ふたりは1本の焼け焦げた柳の大木を抱きかかえてすでに死んでいた。晋文公は介子推の死体を見て泣きながら手を合わせた。その後遺体を葬ろうとしたが、介子推の背中が柳の木の洞(うろ)をふさいでいるのに気づいた。洞の中には何かあるようだ。取り出してみると、それは衣服の切れ端だった。それには血で詩が書かれていた。
割肉奉君尽丹心,但願主公常清明。
(肉を切り君主に真心を尽くす、ただ願う君主がいつも清明であることを。)
柳下作鬼終不見,強似伴君作諫臣。
(柳の下で鬼になりついに会うことはなくとも、君主とともにあり諫臣となるよりはよい。)
倘若主公心有我,憶我之時常自省。
(もし君主の心に私がいるなら、私のことを思い出すたび自省してほしい。)
臣在九泉心無愧,勤政清明復清明。
(臣は黄泉に行っても悔いはない、清明に清明を重ね政に勤しまれますように。)
http://www.china.org.cn/ch-jieri/qingming/2.htm
割肉奉君尽丹心,但願主公常清明。
(肉を切り君主に真心を尽くす、ただ願う君主がいつも清明であることを。)
柳下作鬼終不見,強似伴君作諫臣。
(柳の下で鬼になりついに会うことはなくとも、君主とともにあり諫臣となるよりはよい。)
倘若主公心有我,憶我之時常自省。
(もし君主の心に私がいるなら、私のことを思い出すたび自省してほしい。)
臣在九泉心無愧,勤政清明復清明。
(臣は黄泉に行っても悔いはない、清明に清明を重ね政に勤しまれますように。)
http://www.china.org.cn/ch-jieri/qingming/2.htm
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