漢高祖劉邦は江西の人だった。秦代の末ごろ、泗水亭亭長(秦代の制度。10里に1亭、10亭に1郷を設ける。亭長とは後の時代の“保甲(=隣組制度)”長や村長のようなもの)に任命された。

あるとき、彼は命を受け民工の一団を連れて秦始皇帝の陵墓を建造しに行った。途中、毎日たくさんの民工が逃亡した。劉邦は知恵のある人だったので、民工が全員逃げ出してしまったら自分が罪をかぶせられるだろうと考えた。そこで、彼は皆に「お前たちは驪山へ行ってつらい仕事をするのだ。たとえ疲労から死んでしまうことがなかったとしても、いつになったら故郷に帰れるかわからない。さあ、お前たち、自分たちで活路を開け!」と言った。

当時の秦2世皇帝は残虐だった。陳勝が反乱軍が陳県を攻め落とし、そこの県令は陳勝を頼って手下になろうと考えたが、指導者にもなりたかった。そこで彼の部下は彼に劉邦の味方につくように進言し、彼はそれに従った。劉邦が城外に到着したとき、彼は気が変わり城門を閉鎖するよう命令し、2人の部下を殺してしまった。劉邦はこれを知って手紙をしたため城内に弓矢とともに射込んだ。そして城内の民衆を動員して県令を殺してしまった。その後人々は彼を県長に推挙した。劉邦はみなの手助けによって、その後まもなく沛県で正式に武装蜂起した。

http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=208
南朝も末ごろ、陳国は長江以南に位置していた。隋文帝楊堅は長江以北に住んでいた。そのころ、隋文帝楊堅は全国統一の戦を進めていた。長江の流れが広大なので、楊堅の軍隊は河を渡って江南に進むことができなかった。そのため陳国を討つことはできなかった。しかし、隋文帝楊堅はそんなことではめげず、江南を望み、きっぱりと言った。「私は人民の親である。1本の帯のような河があるからと言って、私が彼らを救うのを妨げられるものか。」そして楊堅は船を造るように命じ、ついに陳国を滅ぼし、全国を統一した。

http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=209
詩経は 中国の有名な著作だが、実はどれも当時民間に広まっていた古代歌謡である。その中には多くの愛情を讃え、男女間の恋愛の物語が含まれている。
詩経の中に≪採葛≫という詩がある。これは人を慕う思いをつづった詩で、男女が別れ別れになった後、心の中の相手に対する深い思いを歌っている。全詩の意味はこのようなものだ。

私は昼も夜もあの人を思っています
あなたは今外で葛を摘んでいます
もし私があなたに会えない日があったとしたら
それはまるで3月もあなたに会っていないようなものです
私は昼も夜もその人のことを思っています
あなたは今外でカサカサと音を立てる草を摘んでいます
もし私があなたに会えない日があったとしたら
それはまるで9ヶ月もあなたに会っていないようなものです
私は昼も夜もあの人のことを思っています
あなたは今外でヨモギを摘んでいます
もし私があなたに会えない日があったとしたら
もし私があなたに会えない日があったとしたら
それはまるで3年もあなたに会っていないようなものです

http://history.1001n.com.cn/news/news.asp?id=210

井神現身

2004年10月27日 連載
元の時代のこと。呉湛という人がいた。家は荊渓のそばにあった。
この地には泉があった。その水は清く澄んで甘い味がした。
周りに住んでいる人たちはみなこの泉の水を飲んでいた。
呉湛は畑仕事に励みきれい好きな若者だった。
両親が亡くなったが、彼はまだ結婚はしておらず、ひとり暮らしをしていた。
いつも村人たちの仕事を喜んで手伝っていた。
彼は泉の周りに柵がないのを見て、ゴミが入りやすいのではないかと考えた。
そこで、竹を探してきて間垣を編んで、泉の周りを囲って、皆が飲めるようにした。
ある日、呉湛は水辺に白いタニシがいるのを見つけた。
それを捕まえて家に持って帰り水がめの中に入れておいた。
その後、毎日仕事から帰ると、暖かい食事が並んでいるのだった。
呉湛はびっくりした。
ある日、彼は窓の外に隠れ、こっそりのぞいていると、
美しい娘がタニシの殻の中から現れ、台所に立つと料理を始めたのだった。
呉湛は慌てて家の中に駆け込んだ。
娘は驚いたが、殻の中に戻るひまもなく、本当のことを話しするしかなかった。
「実は私は泉の神なのです。あなたは泉を守ってくれました。
そしてあなたはやもめ暮らし。だからあなたのために料理をして、
私の作った食事を食べてもらったのです。当たり前のことをしたまでです。」
そう言うと、姿を消してしまった。

http://www.zhshw.com/story/2003-12/2003124150901.htm
 東漢時代、汝河に病魔が住んでいた。病魔がひとたび姿を現すと、どの家の人もみんな病気になってしまい、毎日死人が出た。この一帯の人々は病魔のなすがままになっていた。

 疫病は恒景の両親の命も奪った。彼自身も危うく命を落とすところだった。恒景は病が癒えると妻や故郷の人たちに別れを告げ、仙人のところへ行って術を習う決意をした。人々のために病魔を追い払うためだ。恒景は至る所の名山高地を訪ね歩いた。そしてとうとう東方の最も古い山の上に法力がずば抜けた仙人が住んでいることを耳にした。仙鶴の手引きもあり、仙人はとうとう恒景を引き受けることになった。仙人は彼に魔除けの剣術を教え、降妖剣を与えた。恒景は寝食も忘れて苦しい稽古に励み、ついにひと通りの武芸を身につけた。

 その日仙人は恒景を呼び寄せて言った。「明日は9月9日じゃ。また病魔が出て来て悪さをしおるじゃろう。お前はすでに、故郷へ帰って人々のために病害を祓うほどの腕になっておるぞ。」仙人は恒景にゴシュユの葉をひと包みと、菊茯酒を一本渡した。そして魔除けのためのその使い方を密かに伝授し、恒景を仙鶴に乗せて帰らせた。

 恒景は故郷に帰ると、9日の朝を迎えた。彼は仙人の言いつけの通り、村人たちを近くの山の上に連れて行った。それからひとりひとりにゴシュユの葉を1枚と菊花酒を一杯ずつ分け与えた。昼ごろのことだった。何度か恐ろしい声がすると、病魔が汝河から出て来た。病魔が山のふもとまで突進してきたちょうどその時、突然ゴシュユの異様な匂いと菊花酒の匂いが漂ってきた。病魔は急に足を止め、顔色を一変させた。恒景は降妖剣を手にふもとまで追いかけていった。何度かやりあった後、病魔はその剣によって成敗された。このときから、9月9日には高いところに登り疫病を避けるという風習が、毎年繰り返されるようになったのだ。

http://www.zhshw.com/story/2003-11/2003112492250.htm

重陽節

2004年10月25日 連載
 重陽節は古くからある伝統的な節句だが、現在ではもう祝う人も少なくなってしまった。そんな節句があるとは知らなかった、という人までいる。知っている人でも9月1日から9日までが九皇爺の聖誕祭ということぐらいしか知らない。

 9月1日は伝統的な節句の中でも知る人が少なくなった節句だ。毎年この日には人々は家を出て、旅行したり山に登ったりする。

 もともとそれにはいわれがあるのだ。これはその話である。東漢時代、未来を予言できる道士がいた。彼は法術の使い手であり、また魔物祓いが得意だった。

 ある日、彼は弟子に言った。「疫病神が旧暦の9月9日に、この世にやってくる。」と。彼は弟子たちを村に向かわせ、疫病神を退治するように言いつけた。道士は彼らに草薬と1本の菊花酒を包んで持たせた。彼はこの薬と酒を持っていって、弟子たちに人々を災いから救え、と言うのだった。

 彼の弟子たちは仙鶴に乗って行って、道士がくれた草薬と菊花酒を人々に分け与えた。そして、彼らを連れて山に登った。菊花酒と草薬を飲んでいるので、疫病神は彼らに近づいて来ようとしなかった。そして、同士の弟子たちによって刺されて傷を負った。

 その後、旧暦の9月9日になるたびに、人々はみな、疫病神を避けるために、山に登ったり遊びに出かけたりするようになった。9月9日と言えば、いちばん知られているのはやはり9月1日から9日までが九皇爺の聖誕祭であるということである。マレーシアの各地では多くの人がこれを祝っている。

http://www.zhshw.com/story/2003-11/2003112492250.htm
  かなり昔のこと、大運河沿いに阿牛という農民が住んでいた。阿牛の家は貧しく、7歳のときに父を亡くし、母の機織りに頼って暮らしていた。阿牛の母は夫に先立たれ、子供は幼く、生活の苦しさのために、いつも泣いてばかりいた。泣き過ぎて目を悪くしてしまった。

  阿牛は13歳になった。彼は母に言った。「おかあさん、あなたは目が悪い。これからはもう寝ずに機織りはしちゃいけないよ。僕は大人になったんだから、おかあさんを食べさせてあげるよ。」そして彼は、長者の張さんの家に行って作男をやったが、親子2人の生活は苦しかった。2年が経った。母親の目の病気はますますひどくなり、ほどなく失明してしまった。阿牛は、母の目は僕のために見えなくなってしまったんだ、なんとかして母の目を治してあげたい、と思った。彼は長者のところで働きながら、朝早くから晩遅くまで荒地を開墾して畑で野菜を作った。野菜を売ってお金にし、母を医者に見てもらって薬を買った。しかしどれだけ薬を飲んでも、やはり母の目はよくならなかった。ある日の夜、阿牛は夢を見た。夢の中に美しい娘が出て来て、彼の畑仕事を手伝った。そして言った。「運河に沿って西へ数十里行くと、天花蕩という湖があります。湖の中に白い1輪の菊が咲いています。それが眼病を治すのです。この菊は9月9日の重陽節になると花を咲かせます。その時になったらこの花を煎じてお母さんに飲ませてあげなさい。きっと目の病は治ります。」重陽節の日、阿牛は携帯用の食料を携え、天花蕩に白い菊の花を探しに行った。もともとここは野草の生い茂る荒地で、“天荒蕩”と呼ばれていたのだ。彼はそこで長い間探したが、黄色い菊ばかりで白い菊は見つからなかった。探し続けて午後になった。草だらけの湖の中に小さな土の盛り上がったところがあり、その近くの草むらで1本の白い野菊を見つけた。この白い菊の生え方は変わっていて、ひとつの株から9本枝分かれしているのだが、今はひとつの花しか咲いていない。あとの8つの花は開花を待つつぼみだった。阿牛はこの白い菊を根っこに土をつけたまま掘り返して持って帰り、家の庭に植えた。彼の水やりや手入れのおかげで、しばらくすると8つの花が次々と開いた。芳しく美しい花だった。そして彼は毎日花をひとつずつ摘んでは母に煎じて飲ませた。7つ目の花を飲み終わったあと、阿牛の母の目は見え始めた。

  白い菊が眼病に効くという噂はすぐに広まった。村人は次から次へとこの不思議な野菊の花を見に訪れた。この知らせは金持ちの張さんのところにも届いた。金持ちの張さんは阿牛を呼び出し、すぐにその白い菊を張家の花園に移植するように命じた。阿牛はもちろん言うことを聞かなかった。金持ちの張さんは数人の手下を阿牛の家に行かせその白菊の花を奪わせた。奪い合いの結果、菊の花は折れてしまったが、彼らは大手を振って帰っていった。阿牛は母の眼病を治してくれた白菊が強奪に遭って、とても悲しんだ。折れた白菊の前に座り込み、暗くなるまで泣き続け、深夜になってもそこを離れようとしなかった。夜中過ぎごろ、涙でかすんだ彼の目の前が、突然光った。この前夢に現れた娘が急に彼の目の前に現れたのだった。娘は彼に言った。「阿牛、あなたの孝行心はすでによい報いを生んでいます。悲しむ必要はありません。帰って寝なさい。」阿牛は言った。「この菊の花は私の家族を救ってくれた。その菊が折られてしまったんだ。私はもう生きていけないよ。」娘は言った。「この菊の花の茎は折られてしまったけれど、根はまだあります。根を掘り出してどこか別の場所へ移し変えれば、白い菊がまた咲くはずです。」阿牛は尋ねた。「娘さん、あなたはいったい誰なんですか?教えてください。お礼を言わなくちゃ。」娘は言った。「私は天の菊の精。あなたを助けるためにやってきたのです。お礼など必要ありません。あなたは“種菊謡”の歌のようにしさえすれば、白菊は必ずまた花を咲かせますよ。」菊の精は続けて歌を詠んだ。「3月に分け4月は先を切り、5月は水に濡らし、6月には料頭をやって、7月8月にかぶせれば、9月には刺繍した毬が転がり出る。」それが終わると、姿が見えなくなってしまった。阿牛は家の戻ると、菊の精の“種菊謡”をしっかり繰り返してみた。そしてやっとその意味がわかった。3月に白菊を移植して、4月に剪定し、5月はたっぷり水をやり、6月にまめに肥やしをやり、7月8月にはよい根を守ってやれば、9月には刺繍玉のような菊の花が咲く、というのだ。阿牛は菊の精が教えてくれたとおりにやってみた。すると菊の古い根からはたくさんの枝が生えてきた。今度はこの枝を切り落として挿し木して、また“種菊謡”の歌のとおりに栽培すると、次の年の9月初めの重陽節には香りに満ちた白菊の花が咲いた。その後、阿牛が菊の栽培技術を村の貧しい農民たちに教えると、この一帯では菊を植える人がだんだんと増えてきた。阿牛が9月9日にこの白菊の花を見つけたので、後に人々は9月9日を“菊花節”と呼ぶようになり、菊の花を観賞したり、菊花茶を飲んだり、菊花酒を飲んだりという風習が生まれた。

(口述;景海 整理;春雷)
http://www.zhshw.com/story/2003-11/2003112495209.htm

中秋節の伝説

2004年9月18日 連載
  言い伝えによると、遠い昔、空に10個の太陽が現れた。大地は煙が立つほど焼け焦げ、海の水は枯れ果てた。人々は今にも息絶えてしまいそうな状態だった。このような状況を聞いて、后ゲイという英雄は驚いた。彼は崑崙山に登り、超人的な力をからだに満たせ、神弓を引き絞ると、一気に余分な9個の太陽を射落とし、人々を災難から救い出した。しばらくすると、后ゲイは美しい嫁をもらった。名を嫦娥といった。

  ある日、后ゲイは求道のため崑崙山の友人を訪ねた。奇遇にもそこを通りかかった王母娘娘(=西王母)と出くわし、王母娘娘に不老不死の薬を求めた。この薬を服すると、たちまち天に昇り仙人になれるという。しかし、后ゲイは妻を見捨てることができなかった。彼は不老不死の薬を嫦娥に預け、大切にしまっておくように伝えた。

  はからずも、この時の様子を后ゲイの家の居候、蓬蒙に見られてしまった。蓬蒙は后ゲイが出かけるのを見計らって嫦娥を脅し、不老不死の薬を渡すように言った。嫦娥は蓬蒙には抵抗できないと思い、そのときすぐに決心し、不老不死の薬を取り出すと、一口で飲み込んでしまった。嫦娥が薬を飲むやいなや、からだは地面を離れ、天に向かって飛び去って行った。嫦娥は夫のことが気にかかっていたので、人の世といちばん近い月に降り立って、仙女になった。

  后ゲイが帰ってくると、侍女たちは泣きながら一切合切を訴えた。后ゲイはこの上なく悲しみ痛み、夜空を見上げて愛する妻の名を叫んだ。このとき、彼は驚いた。この夜の月は特別丸く、特別真っ白で明るく、嫦娥にそっくりな影が揺れ動いて見えたのだ。后ゲイは急いで祭壇を設えるよう命じ、嫦娥が大好きだった甘いお菓子や新鮮な果物を供え、遥か遠くの月宮の嫦娥を祭った。人々は嫦娥が月に飛んで行って仙女になった噂を聞きつけ、我も我もと月下に祭壇を設えた。そして善良な嫦娥に吉祥平安を祈った。このときから中秋節に月を拝む風習が民間に広まった。

http://www.zhshw.com/story/2003-11/2003112492214.htm
  むかしむかし、女[女咼]という神様がいた。彼女は5色の石で天の穴を埋め、5色の土で人を造った。

  女[女咼]が指先でこねて作った人の中には男もいたし、女もいた。造った後息を吹き込むと、その泥の人間たちは活きた人間に変わるのだった。女[女咼]はこの方法では遅すぎるし、力が要りすぎるので、草で1本の縄をなって、それに5色の泥を塗り、天日に干した。そうしたあと手で引っぱると、泥の塊がポロポロ落ちた。それに息を吹きかけると、その小さな泥の塊は、ピョンピョン元気に飛び跳ねる人間になるのだった。

  女[女咼]はもうおおかた造り終ったと思った。そして造った人間を2ランクに分けた。指でこねて造った人は数は少なく、からだは大きかった。彼らを“大人物”と呼ぶことにした。縄を引いて造った人は、数が多く、からだは小さかったので、“小人物”と呼ぶことにした。

  現在、世の中の人々は、役人はだいたいからだが大きく、一般平民はほとんどからだは痩せていて小さい。また、男は泥が多めに混ざっていたので、からだから棒状のものを練り出すことができた。女は水分が多めに混ざっているので、涙を流すことが特に多い。人のからだには未だに5色の色が残っている。黄色は皮膚、赤は血、藍はひげと眉、黒は目玉、白は歯である。

http://www.zhshw.com/story/2003-12/200312523923.htm

観音様絵を送る

2004年9月16日 連載
  ある年、杭州城で疫病が流行した。折悪しく凶作も重なって、人々は貧しさと病に苦しめられ、とても悲惨な状況だった。

  ある日、城内の湖のほとりに1艘の大きな船が泊まった。船首には美しい女性が座っていた。彼女は貧しく病にかかった人々を助けるためにやって来たのだ。もしお金を出して彼女を買う人がいれば、その人にために家に住み込み、世話をする。手に入れたお金は人々を救うために使うのだ。

  岸辺の人々は先を争って彼女を買おうとし、お互いに譲らなかった。そこで、お金を投げるという方法で決めることになった。彼女にお金が命中した人が、彼女を連れて帰るのだ。

  そして、銅銭、黄金、白銀が次々と投げ入れられた。へさきにはうず高くお金がたまっていったが、1枚も彼女に命中しなかった。皆はがっかりし、あきらめざるを得なかった。

  女性は微笑んで岸辺の人々に合掌してお礼をした。集められたお金は1枚残らず、貧しい人々に施された。

噂が広まり、杭州城じゅうが騒ぎになった。金持ちたちは彼女の義侠心にあふれる行動に感動し、次々と気前よくお布施した。そして、病人は薬を手に入れることができ、貧しい人々はお金を手に入れ、飢えた人々は食物にありついた。人心は安らぎ、満ち足りた。

  突然、女性の乗った船から色とりどりの光がキラキラと発せられたかと思うと、ありがたい厳粛なお顔の菩薩が現れ、合掌して微笑んでいるのだった。皆はとても不思議に思い驚いた。

  彼女は言った。「私は観世音菩薩です。私が来たのは皆の思いやり慈しみの心を呼び起こすためです。同情、憐憫は最も尊い気持ちです。人を助けることは最も崇高な責任です。弱いもの小さなものを助けることは、天から与えられた逃れることができない仕事です。今日のそなたたちの態度は十分賛美に値します。皆幸福を得ることになるでしょう。」

  衆人は感動し喜び、期せずしてみな合掌し、観世音菩薩の名を呼んだ。

  観世音菩薩は彼らに絵を送った。彼女の約束は実現することになった。彼女はほんとうにお金を出し善をなした、どの人の家にも住まうことなったのだ。

  この話は中国全土に遍く広まり、人々の観世音菩薩に対する信仰を深めたのであった。

http://www.zhshw.com/story/2003-12/20031211222105.htm

一文銭と烏紗帽

2004年9月13日 連載
清代康熙年間、北京城内延寿寺街の廉記書舗の店内で、1人の書生風の青年が勘定場から程近い本棚のところで本を見ていた。このとき勘定場では1人の少年が“呂氏春秋”を買い、ちょうど代金を払おうとしているところだった。1枚の銅銭が落ち、この青年の足元までころがってきた。青年は横目で周囲をちらっと見回すと、右足をすり動かして銅銭を踏み隠した。ほどなくその少年はお金を払い終わり、店を出た。そしてこの青年はうつむくと、足の下の銅銭を拾った。たまたまこの青年がお金を踏みつけ、拾い上げる場面を、店の腰掛に座っていた老人が見ていた。彼はこの光景を見て、長い間青年を見つめ、それから立ち上がって青年のところに行き、青年に話しかけた。青年は范暁傑という名であること、さらに彼の家庭内の事情まで聞きだした。范暁傑の父親は国子監(最高の教育管理機構)の助手であった。彼は父親に連れられて北京までやって来て、国子監での勉強はすでに長年に及んでいた。その日はたまたま延寿寺街にやって来て、廉記書舗の値段が他の書店より安いので、入って見ていたのだった。老人は冷ややかに笑い、別れを告げて出て行った。

  その後、范暁傑は国子監生の身分のまま謄録館で仕事をし、しばらくして吏部へ行って試験を受け、合格し、江蘇省常熟県に県尉という官職で派遣されることとなった。范暁傑はとても喜び、水路陸路を経て南へ渡り任務に就いた。南京に着いた次の日、彼はまず常熟県の上級衙門江寧府へ着任の報告に赴き、上司に謁見することを願い出た。そのとき江蘇巡撫大人(官名)の湯斌は江寧府衙におり、范暁傑の名刺を受け取りはしたが、接見はしなかった。范暁傑は宿に戻り1夜を過ごすしかなかった。次の日も接見することはできず、そのまま10日間が過ぎた。

  11日目、范暁傑は辛抱強く謁見を申し出たが、いかめしい府衙の護衛官が巡撫大人の命令を伝えた。「范暁傑は常熟県へ行って着任しなくてもよい。おぬしの名はすでに弾劾の上奏文に書き込まれておる。罷免じゃ。」

  「大人が私を弾劾?私が何の罪を犯したというのです?」范暁傑は不思議に思い、矢も盾もたまらずに尋ねた。

  「金銭をむさぼった罪じゃ。」護衛官は落ち着き払って答えた。

  「え?」范暁傑はとても驚いた。「私はまだ着任さえしておらぬのに、どこに汚職の証拠があるというのだ?きっと巡撫大人の思い違いに違いない。」と思った。急いで巡撫大人の目の前で申し述べ、事実を明らかにさせてほしいと願い出た。

  護衛官は中へ入って行って取り次ぎ、再び出て来て巡撫大人の言葉を伝えた。「范暁傑、おぬしは延寿寺街の書店でのことを覚えてはおらぬのか?おぬしは科挙で秀才となったときにも、まだ1枚の銅銭を命ほどにも大切に思っておった。今日幸運にも地方官に任じられたが、今後悪知恵を絞って職を汚し、烏紗帽(文官のかぶる帽子)をかぶった強盗にならぬとも限らぬ。ただちに官印を解きここを去り、民衆を苦しめぬようにしてほしい。」

  范暁傑はこのときやっと以前廉記書舗で出会った老人を思い出した。彼こそが今、私的調査で巡回している巡撫大人湯斌だったのだ。
 http://www.zhshw.com/story/2003-12/2003124142012.htm

蒲松齢宴に赴く

2004年9月10日 連載
  蒲松齢は何度も科挙を受けては失敗し、故郷の蒲家荘に帰って、勉強を教えること以外は、胸のうちの憂い憤りをすべて“聊斎志異”に傾注し、役人の世界との行き来などしたこともなかった。
  ある日、思いがけなく宰相から招待状を受け取った。それには「半魯を召し上がれ」と書いてあった。蒲松齢はこの手の招待が大嫌いだった。人々がご飯さえろくに食べられないというのに、役人は飲み食い歓楽のことばかり考えている。そこで、招待状を持参した使者に言った。「わしはからだの具合が悪くて行けない。宰相殿に申し訳ないと伝えてくれ。」それを傍らで聞いていた妻は、主人が宴席に出席しないのはよくないと思い、蒲松齢に言った。「先方さんは宰相、お役人になっても旧友を忘れてはいらっしゃらない。それにあなたと宰相殿は同窓生、机を並べて学んだ仲ではありませんか。どう考えたって行かなきゃなりませんよ。」蒲松齢はじっくり考えてみた結果、やっぱり宴会に出席することに決めた。
  
  宰相の家に来ると、宴会が始まったが、女中が2人テーブルに魚のスープを運んできただけだった。「すまないな。私は官界に入って以来、清廉を守り続けておる。俗世間とはかかわったことがないので、これは宴会などと呼べる代物ではない。兄貴にごまかしごまかし味見をしてもらおうと思っただけなのじゃ。その奥深さを知ることができさえすれば、俗世間に足を踏み入れられるのだが。」蒲松齢はこれを聞いてとても不愉快だった。人生、泥をかぶっても染められてはならないと思った。そこで、なんとかしていつか宰相にお返しをしようと思った。

  数日後、果たして蒲松齢は同じ方法で宰相を宴会に招いた。宰相は「半魯を召し上がれ」と書いた招待状を受け取ると、喜び勇んで出かけて行った。ボロボロの家を見ると、思わず哀れみを感じてしまった。昔、いっしょに勉強していたころは、兄貴は私の何倍も勉強がよくできたものだった。ただ性格が剛直で、世の移り変わりに不満を抱いていたばっかりに、そして各級の試験官に袖の下も使わなかったものだから、ここまで落ちぶれてしまったのだ。金銭的な援助を申し出たが、蒲松齢は断固として受け取らなかった。ただ宰相と昔話をするだけで、宴会のことも口に出さなかった。

  宰相はおなかが空いてきた。時々外に出て太陽を眺めていたが、太陽が西に傾くころになっても、宴席につく様子はなかった。宰相は我慢できないほど空腹になり蒲松齢にたずねた。「兄貴、いつ宴会をするのだ?」蒲松齢は口からでまかせに答えた。「もう1日3食べ終わって、その上“半魯”まで十分に召し上がったのに、なんでまた宴会など必要がありましょうか?」宰相はハッと気づいた。“魯”の字の下半分は“日”ではないか。私が彼に上半分を食べさせて、今度は彼が下半分をご馳走してくれたのだ。でも意味はいっしょではないぞ。下半分を食べたなら、おなかじゅうが太陽になるではないか。これは明らかに、私に太陽の志を抱いた正しい役人になれ、ということではないのか。宰相は1日ひもじい思いをしたが、役人たるものの心得を悟ったのであった。

http://www.zhshw.com/story/2003-12/2003124142252.htm

梅妻鶴子

2004年9月9日 連載
林逋は晩年杭州の西湖にある孤山に隠居していた。山の上で365本の梅の木を植え、毎日草を刈ったり、肥やしをやったり、一生懸命に世話をした。梅の実が熟すころになると行商人が列を成して彼の梅の実を買いに来た。彼は梅を売るとき計り売りではなく、梅の木1本につき梅の実に生えた毛の数で、筋の通った値段つけていた。それで行商人たちは喜んで彼の梅を買って行ったのだ。そして彼は365本の竹筒を用意して、1本の梅の木が売れるごとに竹筒にお金を分けて入れ、それに番号をつけていた。お客が来ようが来るまいが、多かろうが少なかろうが関係なかった。1日1本の竹筒のお金を使って生活し、1文もむだ遣いはしなかった。
  彼はまた2羽の白い鶴を飼っていた。客人が来ると彼はすぐに顔を出した。するとたちまち鶴も飛んで来て、彼の目の前に降り立った。彼はお金とメモを袋に入れ、鶴の首にかけて、市場まで魚肉酒菜を買いに飛ばせた。そこの商人は鶴が飛んでくるのを見ると、林さんのところに客が来たことがわかった。メモにしたがって荷物を渡し、お金を受け取って白鶴を帰らせたのだった。

http://www.zhshw.com/story/2003-12/200312524010.htm
  昔々、西坪欧村に“仙湖岩”という僧廟があって、28人のお坊さんが住んでいた。お坊さんは毎晩鉢にいっぱいの水を担いで来るのであったが、明け方になると鉢の水は半分さえ残っていないのであった。お坊さんたちは鉢が水漏れしているのだろうと思い、来る日も来る日も気にも留めなかった。
  ある日、“烏龍”という小坊主がやって来た。彼は事細かに鉢を調べてみたが漏れている所はなかった。でも朝になるとこの水はどこへ行ってしまうのだろう?そこで、その日の夜、彼はひとりで廟の後ろの茶の木にこっそりと隠れ、わき目もふらずこの鉢を見張っていた。真夜中ごろになると、突然廟の前の湖から1頭の大きな白馬が出てきて、鉢の前まで来るとゴクリゴクリと鉢のほとんどの水を飲み干してしまった。それを見るが早いか、烏龍は背後にあったから大きな石をつかみ取り、白馬に向かってゴンと打ちつけた……、すると急に白馬は石に変わってしまった……
  次の日の朝、烏龍がこの石をしげしげと眺めていると、石の表面には文字らしきものがたくさん書かれていた。その中の“馬”という字だけ読み取ることができた。その日の夜、烏龍の夢の中にあの馬が現れて、不機嫌そうに彼に言うのだった。「烏龍兄貴、この廟の地下には黄金が入った鉢が18個、白銀の鉢が18個、刀と槍の鉢が18個埋まっているのです。私は観音様に言われて長い間この地の宝を守っている老馬なのです。ずっと長い間、善良な貧しい人が来れば黄金と白金をわけてやり、悪者が来れば刀と槍で刺し殺してきました。門前の湖は鉄分が多すぎるので、毎晩上がってきてこっそり水を飲んでいたのです。私は年をとってしまいました。それに昨夜は重傷を負ってしまい、石になってしまいました。でも私はまだこの宝物を守っていかなければなりません。以後もし聡明で善良な人がこれらの字を読むことができれば、この宝物を手に入れるでしょうし、やましいことをした人が見れば、その報いを受けることになるでしょう。」……
  その年の秋になると、県の汚職官吏たちがこのことを知り、宝物を手に入れようと軍隊をつれてやって来た。廟の28人のお坊さんたちを皆殺しにし、地面をそこらじゅう掘り返し、探し回ったが、何も見つからなかった……役所への帰り道1里も行かないほどの山深いところで、彼らは28頭の凶暴な虎に出会い、皆かみ殺されてしまった。当地の人々はこの虎たちは28人のお坊さんが変わったものだと言い合った。
  1100年来、何人もの人がこの話を聞きつけ、調べにやって来たが、石碑のどの文字も読むことはできなかった。現在に至るまで石碑の“馬”の文字だけがぼんやりと見えるだけだ。他の字はだんだんはっきりしなくなってきている。これは永遠の謎かもしれない……

http://www.zhshw.com/story/2004-1/2004115155333.htm

假鈔【4】

2004年6月27日 連載
  出勤時、江峰はできるだけ劉さんに会わないようにしていた。実際出くわしたのだが、江峰はめちゃくちゃ忙しい振りをして、劉さんに向かって手を振るだけで、急いで通り過ぎて行った。

  数日後、局内には悲しい知らせが伝わった。局長の親父さんが亡くなったのだ。江峰は指折り数えてみた。局長の親父さんが亡くなったのは今回で4回目だった。1回目は実の親。2回目は奥さんのお父さん。3回目は継父。4回目は今の奥さんの父親だった。江峰は思った。この調子なら、局長の親父さんはいつまで経ってもいなくならんぞ。そんなことより、いずれにせよ局長の父上様が亡くなったのだから、局の上から下まで役人はみんな行かなくちゃならない。

  江峰は妻の手から100元札を受け取ると、家から自転車を出してきて、局長の家に向かった。

  突然、後方からだれかが呼び止めるので、自転車の速度を落とした。やって来たのは他でもない、劉さんだった。江峰は劉さんの焦る顔色を見て何の用かを悟り、妻にもらった100元札を劉さんに返すしかなかった。

  劉さんは最初は受け取らず、大声で「兄貴、水臭いな。ワシは借金の取立てに来たわけじゃないんやで。ワシはただ兄貴と話しようと思って。」と言っていた。劉さんはお金を渡されると、表情も幸せそうになり、江峰に言った。「行こう、ワシら局長の家に紙銭を焼きに行かなくっちゃ!」

  江峰にとっては行くも地獄、帰るも地獄。劉さんといっしょに局長の家に行くしかなかった。

  局長の家の前には、車もたくさん停まり、人もたくさん来ていた。花輪はいっぱいで、爆竹も鳴り止まなかった。局機関と2級部門から来た人はいつもより欠席も少なく、みんなは悲しそうな顔を作りながら、笑いをこらえているようでもあった。局長は背中に斜めに白い帯を掛け、ひっきりなしに参列者と握手をしていた。声もかなりかれていた。

written by 司馬村
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假鈔【3】

2004年6月21日 連載
  彼は偽札を代えてもらうこともできず、家にも帰れないでいた。どういうわけか江峰は、同僚の劉さんのことを思い出した。遊びに来たような振りをして、劉さんの家を訪れた。

  運のいいことに、劉さんの奥さんは不在だった。

  ふたりの男はあれやこれやとしばらく話していたが、江峰はお金のことに話を移していった。

  劉さんが言った。「お金っちゅうヤツは、多すぎてもかなわんし、少なすぎてもあかん。なけりゃほんまにどうしようもない!」

  江峰は言った。「あんたがお金の話をしたんで、思い出したが、奥さんがオレが出かけるときに100元を1枚くれて、革靴を買ってきてほしいと言ってたんだ。それが、どうしたものか、お札がひどく新しくて、道を急いでいたこともあって、なぜか失くしてしまったんだ。」

  劉さんは言った。「兄貴、ほんとうにオッチョコチョイやな。あんた今日革靴を買って来なかったんなら、きっと嫁はんにボコボコにされるわ。よっしゃ、ワシちょっと余裕があるから、都合つけといてやるわ。」

  江峰は劉さんの手から100元受け取ると、言った。「弟よ、明日の出勤のときに必ず返すからな。」

  劉さんは笑って言った。「はいな、兄貴、お金のことはもう言いなさんな。」

  江峰が帰ったとたん、劉さんの顔が緊張の色に包まれ始めた。昨日もらったばかりの給料を、奥さんは今日の午後差し出せと迫るに違いなかった。今なら彼女が帰って来る時間までにちょっとある。すぐに親友の李さんを訪ねて行かなければ、と思っていた。

written by 司馬村
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假鈔【1】

2004年6月19日 連載
  局機関事務員の江峰が給料を受け取る。出納係の白艶が彼に100元札の束を手渡す。彼は自分の目で白艶の白魚のような指が8回札を数えるのを見た。機関一の美人でバツイチの女性の前で、江峰は少し紳士的に振る舞おうとしていたが、目の前で白艶が数え終わりましたよ、と言うのも耳に入っていなかった。帰宅すると、彼は給料をニコニコ顔の妻に渡した。妻は喜び勇んで札束を数え、ポケットからシワシワのはした金の札を数枚取り出して、彼の手に握らせた。江峰は急いで金をポケットに押し込んだ。

  次の日、江峰が仕事から帰ってくると、妻が家からずっと離れたところで怒り心頭の様子で出迎えた。妻は1枚の100元札を取り出すと、江峰に向かって言った。「このウスノロ、どうして偽札だってこともわからないのさ!」江峰は動揺して血の気が引いた。足早に妻の手を引き、家に入った。通りで人に見られてはまずいと思ったからだ。江峰が見てみると、まさに偽札だった。妻が貯金をしようとしたときに気づいたのだと言う。そうでなければ銀行員に見つかって没収されていただろう。妻は銀行員に冷やかされた後、江峰に会って、彼に八つ当たりしたのだ。「あんた、機関の妖精ちゃんに夢中になってるんじゃないの!」

  江峰は女性と言い争いはしたくなかった。女の話はいつでも正しい。

  江峰は心の中で思った。「オレは昨日金をもらって帰った。そのときお前は1枚1枚見てたんじゃなかったのか?」

  でも、彼の口ではそんなことは言えなかった。「すぐに白艶のところに行って、代えてもらって来るわ。」

  妻はからかって言った。「あんたはメンツばっかり気にしてるからね。局長クラスなら、彼女もあんたに身を任せたでしょうにね!」

  局長と言えば、江峰には思い当たる事があった。白艶が男と別れたとき、まさに局長のお眼鏡にかなって、白艶は局直属の2級部門から機関管理財務に移動してもらったのだった。局長のことや白艶の白魚のような指を思い出すと、江峰は偽100元札を交換してもらう勇気が失せた。歩みもしだいに遅くなっていくのだった。

written by 司馬村
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  交差点まで来て、赤信号が点ると、それにつれて彼女の目も輝きだした。彼女は突然私の顔を見つめた。そしてまたあの“三日月”が現れて、「プッ」と吹き出した。「つまんない話ばっかりしちゃったわ。あなたはまだ言いたいことの半分も言っていないでしょうにね。」「ハハハ。」私はそのとき腹の底から笑った。私はめったに笑わないほうで、ほんのスズメの涙ほどの笑いなのだが、このときの笑いは“バカ笑い”というやつに違いなかった。

  彼女は私の額をながめていた。いや、正確に言うと見つめていた。「強情ね。こういうオデコの人は強情なのよ。」彼女はわざとため息をついて見せた。

  「え?まさか、人相も見られるのか?」

  「そうよ、最近人の顔を研究してるの。だって、こんなにたくさんの人がいて、同じ顔の人はいないんだもの。これって興味深いことじゃない?」彼女の考え方は目まいがするほど独特なものだ。「君のほうがもっと興味深いよ。」という言葉がのどまで出かかった。でも、私は口に出さなかった。それは人をほめることになるのだが、私はちょっとやそっとで人をほめる人間ではなかったのだ。

  「それじゃ、ボクの目どうなんだい?」

  彼女は目線を下げてきて、私の目線に合わせてきた。私は想像もしていなかった。こんなやり方、バカげてる。こんなことをするものだから、4つの目が向かい合ってしまった。その前の数分間は、こんな事態を避けていたのだが。私の中に赤い嵐が吹き荒れた。赤い台風はすでに私の耳元にまで達しようとしていた。そのときの惨状は思い出したくもない。彼女は私よりずっと自然だった。ずっとずっと。彼女がうつむくと、三日月がまた現れた。「目が活き活きと輝いてるわ。これはあなたがきっと成功するっていう証拠よ。」そのあと彼女はすぐに顔の向きを変えた。私の胸はドキドキしていた。恥じらいは男にとっては醜態だ。特にえらそうにしている男にとっては。

  私の台風警報が解除されると、やっと「人の心を理解する」という言葉が思い浮かんだ。これも一種のほめ言葉だろう。めったに人をほめない私から見れば、おもねりへつらうようなもの。だから私は思ったことを口には出さなかった。

  彼女が歩くリズムはちょっと速めだった。しばらくすると私たちは郵便局に着いた。

  彼女は傘をたたむと、ドアのところに逆さまにして立てた。私にはなぜ逆さまにするのかはわからなかったけれど。突然彼女は振り向いた。三日月が彼女の顔にまた現れた。「逆さまにするのは倒れにくいからよ。わかる?ハハハ。」彼女は手紙を取り出すと、腰かけて、切手を貼り始めた。口を開けたままの私をそこに残して。これは思慮深い人のする格好ではなかった。白痴のようなぼうっとした顔といったほうがピッタリだった。すぐに彼女は手紙をポストに入れた。そして私にアカンベをして見せた。「早く荷物を取ってこれば?かっこつけちゃって。」そしてさっと郵便局の入り口まで行き、手を伸ばして雨が止んだかどうか確かめると、また私のいる方へさっと戻ってきた。私は荷物を受け取りながら、この様子を観察していた。彼女のそんな様子は、私の彼女に対する行動が物珍しかったからと言えなくもなかった。

  「もう雨も降りそうにないし、晴れちゃってるから。それに私、友達の家に行かなくちゃいけないし、道が違うわね。ここでお別れね……同級生さん。」私の反応も見ずに、彼女はさっと入り口へ行ってしまい、傘を取った。そして別の方向へ歩いていった。そのとき、私の中に何か言いたいことがあったような気がしたが、彼女のことを呼び止めもしなかった。私はまた腹を立てた。彼女は礼儀知らずな女の子だ。「さよなら」も言わないで、と。

  その後、月曜日になり学校に行った。私はわざわざアシがつかないように調べてみた。学校のN年生はこんなにたくさんいるのに、嘉千という名の生徒はひとりもいなかった。私は彼女がうそを言ったのだと思った。でも、どうして彼女がうそを言ったのかさっぱりわからなかった。

  それ以来、私は何度も雨の日に郵便局へ行ってみたが、もう彼女に会うことはなかった。

written by Fu単質
http://wind.yinsha.com/letters/show.phtml?aid=2004040502094066
  彼女は私を見て、怪しげな笑いを浮かべた。ほんとうに怪しい笑いだった。その後も私は、そんな笑いを浮かべて私を見る女の子に出会ったことはない。まるで通路のように直接私の心の中をのぞき込んで来る。私は彼女が賢い子だろうと思った。なぜなら自信満々の額をしているからだ。

  雑誌などを売っているブックスタンドを通りかかったとき、彼女は店の主人に微笑みかけた。「ご主人、あの8分切手を5枚ちょうだい。」彼女は懐からお金を取り出した。彼女は意外にも財布は持っていなかった。かなり妙な感じだった。女の子ならきれいな財布のひとつも持っていて、おしとやかにお金を取り出しそうなものだが。私は彼女を観察していたのだった。でも彼女はそんなもの持っていない。ジーパンの中からなんとかモゾモゾと新しい5元札を1枚取り出した。私はだんだん好奇心を持ち始めた。

  店の主人は彼女とかなり親しいようで、こんな挨拶をしていた。「お嬢、今日は学校に行かないのか……お茶でも飲むか?今入れたばっかりだ。」

  彼女は当たり前のように歩いていき、小さな茶碗を受け取り、ひと息で飲み干した。私にも1杯手渡した。私も彼女の真似をして―――ひと息に飲み干した。その瞬間の彼女の動作は、とてもかっこよかった。そのあと、彼女は主人にアカンベをし、傘を広げて、私に傘に入るように合図した。ほんとうに、彼女は礼儀知らずで、「さよなら」さえ言わなかった。私はまた彼女の顔を見た。(もちろん横顔をだが)

  ひょっとすると彼女はこんな気まずい雰囲気に慣れていなかったのかもしれない、それでなのか彼女は立て板に水のように話し始めた。何から何まで全部言ってしまうのではないかと、こっちが心配になるほどだった。その上彼女の話題の切れ変わりのスピードには、ただただ驚くしかなかった。彼女の話は先生の目つきの話題から、買ったばかりのバラの花へと移った。その次は昨日のニュース番組の話になり、そして学校のグラウンドがどれだけ小さいかとか、体育の時間はどれだけつまらないかなどと移っていった。見ているこちらは、さっきのお茶だけでは口の中の水分が足らないのでは、と心配になるほどだ。でも、このおかげで私もリラックスしてきて、反感より感激の気持ちが勝ってきたように思った。

written by Fu単質
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2004年のある日、晴れたり曇ったりの天気だった。

  彼女は私の目の前をそっと音もなく通り過ぎた。私は直感的に、物静かな女の子だと思った。乱れた髪、白い肌、人を蔑むかのような眼差し。以前から私はこういうタイプの女の子は嫌いだった。高慢な感じだ。私は彼女の鼻をへし折ってやろうと、彼女にゆっくりと近づいていった。「何の用?」神様、彼女は礼儀も知らず、「こんにちは」の挨拶もしない。私は腹が立って、彼女をにらみつけた。(フフフ、もちろん彼女に見られるようなヘマはしない)「なにも。郵便局へ行って荷物をもらって来ようかと。同じ方向みたいだから、お付き合い願えないかとね。傘を持っていないもので。」私は一気に言いたいことをすべて言った。これは明らかに私が怒っているときのやり方だ。こんな女の子と知り合いになるのに気など遣いたくなかったのだ。そのあと起こったことを考えると、そのときの私はメチャクチャかっこ悪かった。穴があったら入りたいぐらいだ。

  彼女は笑った。笑うと目が三日月のようになった。これは一重まぶた特有の形だ。私は好意を持ち始めていた。「いいよ、傘に入って。」彼女は私のほうへ傘を差し出した。ひとこと付け加えておくと、彼女の傘はとても小さかった。一人用のサイズだ。私は彼女に笑いかけた。そのときのは、作り笑顔というやつだった。

  「ボクは学校の友達に手紙を出しに行くんだ。ボクはA中学なのさ。君は?」

  「同じよ。」私は自分の堅苦しさがいやになっていた。そのとき私の顔が赤くなっていたかどうかは神様が知っているはずだ。

  「じゃ、私たち同じ学校だったってわけね。私、嘉千って言うの。あなたは?」

  「うん。」私は本を胸のところに持っていき、「ボクは李峪だよ。」と言った。簡単に自己紹介したあと、私はまた黙り込んでしまった。自己表現が苦手な私は、どうやってこの気まずい局面を切り抜けようかと考えていた。そしてそれを天気のせいにし始めていた。

written by Fu単質
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